小説『噂の真相』編集部襲撃の点と線!

(コアマガジン「BUBKA」過去掲載記事、登場人物の年令は執筆当時(2000年夏)のもの)

 

 2000年6月7日夜、『噂の真相』皇室関連記事をめぐって、その事件は起きた。
“反権力雑誌”が110番通報。同誌編集長らに対する傷害容疑で、
右翼団体の男二人が現行犯逮捕された!
新聞・放送メディアを震撼させた、『噂の真相』編集部襲撃事件の全貌!!

 

 

 「誰か、警察を呼べ! 警察を!」

 『噂の真相』編集長・岡留安則(52)の悲痛な叫び声が編集部に響いた。

 その指示を受け、編集部のSが110番通報した。
 先頃、6月7日、午後6時15分ごろの事である。“反権力雑誌”からの警察出動要請だった。しかし、警官がすぐに来なかったために、わざわざ新人女性編集部員Sは交番に警官を呼びにも行っている。

「反権力であろうと、痛いものは痛いのだ」
 右翼団体「日本青年社」構成員の島村秀見(34)、葛西俊夫(34)両容疑者と対峙しながら、岡留は「怖いよ」と感じていた。
 そして、警視庁四谷警察署の制服警官3人が新宿区新宿三丁目の同編集部に駆け付けたのは、事件発生から約20分ほども経ってからのこと。その場で島村、葛西両容疑者は傷害の現行犯で逮捕された。

 事件第一報は共同通信が配信しているが、その中で「編集部員らが取り押さえて110番した」とあるのは誤りである。総勢5人の反権力男性編集部員の誰にも、右翼二人を取り押さえる力はなかった。各報道にバラツキがあったのは、いい加減な『噂真』編集部の対応らしいと言えなくもない。また、「岡留編集長刺される!」などという表現もネット上にあるが、「刺され」てもいない。

 

 

 事件の発端は2日前の6月5日だった。島村、葛西両容疑者が、それぞれ「日本青年社三多摩本部行動隊長」「同副隊長」の名刺を持って、この反権力編集部に現れている。

 同誌6月号の1行情報(真偽不明の噂コーナー)で、皇太子妃の名前に敬称を付けず表記した事で、抗議に押し掛けたのである。そして、2人はこの6月7日に話し合いをする約束をして、この日は大人しく帰っている。

 島村、葛西両容疑者が約束通りに来たのは、6月7日午前のことだった。ところが、反権力編集長の岡留は不在であった。無理もない。ちょうど、その頃岡留は京王新宿線・芦花公園駅近くの高級自宅マンションで睡眠中だったからだ。編集長が午前中に出社することはほとんどない。反権力の岡留は連日連夜といっていいほどに酒を飲み、朝帰り、出社は夕方になってからの毎日だ。

 島村と葛西は相当頭に来ていた。
「社長であり、編集長である岡留が朝から会社にいないとは、何事だ!」
 その憤りは夕方までに激怒となって熟成していった。そして、午後5時55分頃になって再々度来社した二人は、応接室のソファに腰掛け、ようやく出社してきた岡留編集長と川端幹人副編集長(41)と向かい合うことになったのである。
 同応接室は元々二部屋だったものをドアを外してワンフロアとして使用しており、ちょうどドア分の隙間が空いていて様子の見える隣室編集室には、松井、常松、西岡という男性編集者三人、正岡と新人のSという女性編集者二人がいる状況だった。

「雅子様を、雅子と呼び捨てにするとは何ごとだ。皇室への侮辱だ。謝罪しろ。そのために次号を1回休刊にして反省の意を尽くせ」
 島村と葛西はそう、迫った。

 彼らが所属する「日本青年社」は1969年に結成された右翼団体。東京・六本木に総本部があり、構成員は千数百人。単一右翼団体としては、全国最大規模とされている。78年に尖閣諸島の魚釣島に灯台を建設し、尖閣諸島の領有問題も運動の柱にしている。
 そして、20分ほどの話し合いの末、右翼二名の要求を岡留と川端がすげなく断わった後に事件は起きた。

「この野郎!」
 そう叫ぶと、二人は立ち上がり第一撃が始まった。最初に被害にあったのは川端だ。いきなりテーブルに置かれたお茶をかけられ、そのままボコボコに殴られたのである。
 弱虫の川端は自分が先にやられたのは、「弱そうに見えたからかな」と、動揺する心の中でかすかに思った。
 次いで、岡留の頭部に直径12センチのクリスタル製灰皿が投げつけられた。そのまま岡留は激痛のためにうずくまっている。結果的にはそれが岡留にとって最も大きな受傷の原因になった。

 その後、部屋中にあった色んな物を右翼の大男二人は投げ付けだした。その最も大きなものはガラス・テーブルである。
「ひ〜!」叫ぶ川端と岡留。しかし、岡留は覚悟したのか、「やる気」を見せて上着を脱いだ。その時、弱虫の川端は考えていた。
「岡留さんはこれまで右翼や左翼からの抗議もヘラヘラとかわしてきた。こんな雑誌20年以上ずっとやってて、胃に穴をあけるストレスを岡留さんに与えたのは、右でも左でもない宅八郎ただ一人だ」

 しかし、強虫(強がる虫)の岡留が上着を脱いだがために、右翼は応接室の脇にある台所から果物ナイフを取り出してきた。ただし、これは威嚇のためであり、結果的に岡留にはかすってもいない。共同、時事、朝日、読売、産経などすべての報道で、「果物ナイフを投げ付けた」などと報じられているが、これらは全て結果的には誤報だった。

 

**

 

 しかしながら、その激しい大暴れぶりに、隣室にいた男性編集者三人が駆け付けてきた。松井と常松は見るからに非力な編集部員だが、新人の西岡は大学の元空手部員だ。しかし、右翼二人の「すごみ」には誰にも為す術がなかった。

「警察を、警察を呼んでくれ!」
 その叫びに、隣室で震えながら事態を見守っていた女性編集部員二名の内、Sが110番通報。制服警官3人が島村、葛西両容疑者を現行犯逮捕することになったのである。
 その時、すでに反権力編集長・岡留の小さい脳味噌はフル回転し始めていた。
「この状況は話題になるな。ビデオはちゃんと撮影しているかなー」
 編集部には防犯用ビデオカメラが設置されており、監視録画をし続けている。しかし、ビデオはそこを平和的に訪れる人間に断わって撮影しているわけではない。その意味ではプライバシー侵害の恐れもあるが、岡留にはそんな考えは及ばない。『フォーカス』6月21日号に掲載された現場写真は監視ビデオからの複写である。

「ビデオに撮れてなかったら、足立三愛(みよし)さんに点描で状況を描いてもらおうか。でもな、三愛さんは似顔絵似てないから、どうしようかな」
 タブーなき反権力・反権威雑誌と自称する『噂の真相』だが、株式会社『噂真』の株主・足立倫行の弟・足立三愛の点描イラストが似ていないと書いてはいけないなど、タブーは存在している。
 この他、例えば約20年前に「皇室ポルノ事件」によって同誌が右翼の総攻撃に遭った際には、印刷所から広告まで全部止められている。そのために、現在では印刷会社も公表しておらず、実際には凸版印刷で印刷製本されていることも触れてはいけないタブーだ。
 また、執筆者にしても「マンガ評論」担当の山崎京次が、実はコミケットを主催する米沢嘉博その人だということも、明らかにしてはいけないタブーである。さらに別名と言えば、岡留が「石沢哲」という別名を持っていることも、ほとんど触れられない事実だ。

 このように、タブーなき反権力誌にもタブーは多々ある。

 

***

 

 警察出動後、岡留は救急車も呼ばず、トイレで血を流し、応急処置を施すにとどめた。そして、岡留・川端は警視庁四谷署に事情聴取に向かうことになる。

「マスコミを呼びまくれ!」
 岡留は残された編集部員に、言に無言に指示を与えた。その結果、「共同通信」の打電、それを受けた日本テレビ『今日の出来事』が最も早く事件を詳しく報道している。警察の実況検分が二時間続く中で、通信社、主要紙、各テレビ局の取材が、編集長・副編集長不在のまま、編集部に相次いだ。

 そんな中、四谷署での事情聴取は深夜まで三時間にも及んだ。しかし、岡留は心の中でこう思っていた。「しめしめ、これで今月号は完売かも。乾杯ーッ!」岡留の“サメの脳味噌”は、この事態を利用して「原論は暴力に屈しない」と雑誌のアピールをすることだけを考えていた。何とかのひとつ覚えである。

 その時、川端副編集長の脳裏には「激震! 編集部襲撃の点と線」などといった記事タイトルが浮かんだが、「何が点」で「何が線」なのか、良く分からなくなったので、考えるのをやめた。まあ、『噂真』編集部の記事作りには良くあることではあった。

 

****

 

 さて、四谷署での事情聴取を終えて、岡留編集長、川端副編集長が戻ってきたのは深夜になってからのことだ。
 そこで、大久保の春山外科医院で治療をすませた岡留は、編集部のマスコミ対応(反権力アピール)に満足したのか、編集部員らに「今から打ち上げで、飲みにいこう」と言い出した。より苦痛を感じていた川端は、「何言ってるんだ、この人は」と思いながら、新宿区大久保にある自宅にタクシーで戻った。
 結局、事件当日に祝杯をあげにいった岡留が、自宅マンション(世田谷区南烏山3丁目××ー× ×××××××××××)に戻るのは午前様になってからだった。

 ところで事件当日、たまたまニュースを見ていた宅八郎は事件の概要を知ると思った。
「右翼でもヤクザでもいいけど、そう言えば、岡留はわざわざ右翼や暴力団員の名刺を『スゴイだろ、知り合いなんだ』と、得意気にボクに見せた事があったなあ」

「岡留と同年輩の全共闘世代の人たちは都内のオートロック式高級マンション(53・57平米、五千五百万円相当)を新築でポンと購入し、高級外車BMWに乗る(乗り回すほど運転は上手くない)岡留をプロレタリアートとしてどう見るのだろうか」「法曹界の重鎮・清水英夫(青山学院大学名誉教授)が弁護団長をつとめる『噂真』自身が一種の権力回路になってるじゃないか」
 実は権威好きな岡留を宅はそう思った。執筆者を守るのは反権力じゃなくとも出版社の同義だと思われるが、過去に同誌の執筆者だった宅は岡留に「“権力側”に突き出される」ような苦い経験を味わされていたからだ。

 ところで、翌日以降も各マスコミの取材を受けた岡留は満足気だった。すべてが「自由な言論」アピールになっていたからである。確かに『噂真』にとって、この事件は不幸中のチャンスだったと言えなくもない。
 事件後に報道各社に一斉に発した編集長コメントは息巻くシロモノだった。
 <やむなく110番したが、話し合いが通じず、言い掛かりとしか思えない暴力行為には怒りを感じる。今回の件では恐怖心を感じたが、自由な表現活動を撤退するつもりは一切ない。>
 無論、岡留は「やむなく」「自由な表現活動」といった点を強調することは忘れなかった。また、後日取材を受けた『フォーカス』は見出しや地の文で、全治二週間の受け傷を「向こう傷」(天下御免の?*注・筆者)などと掩護姿勢を見せている。

 しかし、島村、葛西両容疑者が本当に怒っていたのは、皇室問題ではなく、午前中に岡留が出社していないことだったかもしれない、とはどこも報じていない。

 

 

 事件から二週間ほど経った6月19日に、『創』編集長の篠田博之が『噂真』を取材している。その数日前に、キツネ目の男として知られる宮崎学と話していた篠田は、宮崎の言葉を思い出していた。
「100番通報したのは、どうにも納得いかない。それが頭に来るね………」
 
そんな宮崎の言葉に触発され、マスコミ事情に精通した篠田は、一時期の『週刊新潮』だったら、きっと『反権力雑誌が110番通報とはとんだお笑い草!』というような記事タイトルにしたんだろうな、と心の片隅で思った。
 89年に篠田自身、昭和天皇崩御関連の報道にからんで、総勢約40人の右翼に囲まれ一時間にもわたる猛烈な抗議を受ける“恐怖体験”を経験しているが、その時にも警察に連絡するようなことはしていない。

 また、川端副編集長は一時は人気連載執筆者だった宅八郎の言葉を思い出していた。
「マスコミは書きっぱなし、電波の垂れ流しをするが、そんなマスコミ自身が権力化しているのは事実だ。そいつらが狙い撃ちされ、批判にさらされる場として『噂真』が存在するのはいい。ボクも同じ思いだ。しかし、その『噂真』自身が権力化しているじゃないか」
「書いたヤツはいつか書かれるんだ」
「何かを裁くようなヤツはいつか何かに裁かれるんだ。その何かは神でもある。だから、ボクはいつでも神に裁かれる覚悟はできてる」

 いつか語っていた宅の覚悟を、川端は思い出していた。同じく岡留の脳裏にも、宅の存在と言葉が浮かんだ時期もあったが、自己正当化と自己保身によって、それは今となってはとっくにかき消されていた。

(終)

 

***なお、この記事は反権力雑誌『噂の真相』と同レベルの“緻密な取材”と“確かな裏取り”を行い、敬愛する大下英治先生の“「小説」と銘打つことによって、まるで見てきたように描かれる文章表現と想像力”をできるだけ模倣して、構成しました。本来の宅八郎の取材・表現手法とは若干異なる記事です。***

 

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