田中康夫問題入門編第一章!

 

前文

 2003年7月18日に長野県庁表現センターで行われたボクと田中康夫との対決、そして8月7日に行われた“第二戦”。二人のやり取りを見ても、何が何やら事情はわからないというのが、まず普通の反応だろう。
 ただ、そんなめくるめくようなストレンジ・ワールドにまずは引きずり込むのが、ボクの手法だとも言える。

 しかし、8月10日に放送されたTBS『サンデージャポン』では出演者の飯島愛さん、高田万由子さんがそろって「元々のキッカケは何だったの?」と疑問の声をあげていた。
 後日、番組ディレクターから連絡が入ったが、出演者・視聴者のリアクションがかなりあり、同様の手応えだったと言う。また、同番組の視聴者、そしてこのホームページを読んでくれた方々からのメールがボクにも大多数寄せられている。

 そこで疑問にお応えしてみようと思う。

 すでに「第一段階」の資料として、11年前に田中康夫がボクについて記した問題記事は8月7日にボクが行った「記者会見」で開示した。
 また、官僚主義を廃するという建前を取りながら、ボクに対しては実に「お役所的対応」を取り続ける康夫知事。抗議があったにも関わらず、表現者として自分が書いた文章をみずから確認する努力も一切しない。そして抗議者に「送ってこい」などとお高く構えているのは、果たして責任ある表現者の態度と言えるのか。それって書きっぱなしってことだよ。そして書き逃げするつもりなのか。
 まあいい。ではボクもその対応をむしろ浮きぼりにしてやろう。ボクは県知事に指定された手続き通りに、県経営戦略局と長野市内の自宅にその田中康夫原稿のコピーを送付した。手続きどおりにね。

 その上で、みなさんに対しても少しわかりやすい原稿(入門編)を記しておくことにする。

 

11年前の1992年、いったい何があったのか。

 

 ノ・ウラミ・ハラサデ・オクベキカ!

 現在では長野県の最高権力者の座にまで登りつめた作家・田中康夫。
 こいつとは11年にもおよぶ深い確執がある。ボクはこいつを今も許すことはできない。必ず処刑する。
 そう、ボクには時効はない!

 まずは事の発端から、かいつまんで説明しておかなければならないだろう。
 1992年4月のことだ。ボクは日本でも最大の発行部数を誇る週刊誌『週刊ポスト』(小学館)に事実無根のねつ造スキャンダル記事を書かれ、多大な報道被害を被った。そのため、窮地にも立たされた。
 これは当時、ボクがトラブルになっていたK事件に関してのスキャンダル記事であった。Kは『週刊プレイボーイ』(集英社)の有名編集者として、テレビにもタレントとして出演して顔を売っていた男だ。
 ボクが日本テレビの深夜番組『EXテレビ』でKと共演した時に、楽屋でKが「生意気なヤツだな。おまえ一人つぶすのなんか簡単だよ。この業界で食っていけなくしてやるよ」だのと、恫喝してきたことが事件の発端である(その理由はさらに月刊プレイボーイ宮崎事件にまで遡って説明しなければならなくなるため、今後の機会に譲りたい)。

 前年の91年のことだが、ボクはKのことを調べ上げ、復讐することにした。そして、Kに「謝罪する気がないのなら、ボクは“ある手段”をとる」と最後通告した。
 Kは謝罪のことなどほったらかしにして、「何をやるつもりなんだ、何を考えてるんだ」としきりに己の暗い行く末ばかりを気に掛けていた。ボクは「誰も思いつかない天才的なことさッ!」と応じた。
 「汝の隣人を愛せ」。イエスの言葉に啓示を受けたボクがKに下した最終手段は、Kの隣人になることだった。自宅を調べ、数ヶ月間の準備期間を置いて、同じマンションに入居したのだ。そして、ベランダにビデオカメラを設置して、Kの生活を24時間監視した。
 そして、そのレポートは91年から92年にかけて、『噂の真相』伝説の連載「業界恐怖新聞」で毎月実況報告していった。

 ところが、Kはまったく反省するでもなく、謝罪するでもなく、反論するでもなく、ボクに対して裁判所に仮処分申請をすることで対抗してきた。仮にも言論人が、だ。
 ボクが生活妨害行為を行っている、というのである。その中には心当たりのないことも含まれていたが、ボクは「人間、住みたい所に住んで何が悪い」と反論した(同じマンションに住んでいるために“不法行為”の法的解釈は難しい)。

 ところが、ちょうどその頃ボクの仕事を手伝いたいと言って近づいてきていた女性Mがいて、Kの監視などもアシスタントしてもらっていた。ところが、そのMという女性は密かにKや『週刊ポスト』、芸能レポーター梨元勝らとも通じていたのだ。

 

『週刊ポスト』が二週にも渡って掲載した「一方的な攻撃記事」

 

 そして、スクープとして『週刊ポスト』92年4月17日号が出た。掲載された記事は驚くべきものであった。記事は女性Mの告白、というスタイルを取って居て、その記事によれば“元恋人”だそうだ。
 その証言の中身だが、ボクが生活妨害行為どころか数々の「犯罪行為」を犯していてKの郵便物までも盗んでいたとか、次はいとうせいこうを狙っているだとか、言うことを聞かなければその女性を本当に殺して埋めてやると言っていたとか……。まったくのでっち上げを仕立て上げてきていたのだ。

 ボクは記事が出るわずか前に『週刊ポスト』の記者から取材を受けた。しかし、どうにも怪しい取材だった。一応、片側の当事者であるボクの話も聞く、という形だけ。実際には話は半分聞いただけで、すぐに写真を撮らせてくれと言ってきた。つまり写真だけが欲しかったようなのだ。まさにアリバイ作りのためだけの取材だ。

 『週刊ポスト』記事がどのくらいひどいものだったか、まさか全文を引用するわけにもいかないが、50%の悪意と50%の興味本位の“客観報道”ならまだイイ。しかし、この記事はボクを悪人にしようとする100%の悪意がなければ書けないシロモノだった。
 何しろ、告白女性の342行にもおよぶ発言のウラは一切取っていない。対して、底意を知らせずにアリバイ的に行われたボク自身のコメントはたったの7行なのだ。342対7だよ。こんなバランスがあるか。

 そして、ボクがやった隣人化計画は仮に「犯罪的」だとしても、「犯罪的行動」と「犯罪」は分けて考える必要があろう。「犯罪的行為」については、当事者間の認識に違いがあるかもしれないけど、「犯罪」は別の問題だ。郵便物なんて盗んでいないよ。

 

追い打ちをかけるように、田中康夫がボクを攻撃してきた!

 

 『週刊ポスト』の最初の記事が出て、すぐにボクは取材記者を襲撃した。『週刊ポスト』への反撃開始だ! おびきだした記者の素顔の写真を撮りまくってやったのだ。この時、ポストのカメラマンは「しゃ、写真なんか撮ってもいいと思っているのか」などと、うろたえながら自己矛盾する発言をしている(笑い)。
 すると巨大メディアは一個人であるボクの思いがけない反撃によほど頭に来たのか、翌週4月24日号にも続報を掲載した。前回は一応、「宅八郎氏」とされていたが、こちらでは「宅八郎(29)」などと、呼び捨ての上で年齢まで入れてきて、まるで犯罪報道のような扱われ方だった(ただし、続報は意地になって記事を作成したことが見え見えで内容的には大した情報はない)。

 しかし、こうして日本最大の発行部数を誇る週刊誌に2週にもわたってボクを一方的に攻撃する記事が掲載されたことは間違いなく、ボクは大きな報道被害を負ったのである。
 ここまでの事情について、より詳しく知りたい方は拙著『処刑宣告』(太田出版刊)に全経緯を記しているので是非読んでいただきたい。御理解の一助になるのではないかと思う。

 ところが、ここで田中康夫が関わってきたのである。
 田中の大好きな“真っ当”という言葉を使ってやろう。田中は元々の『週刊ポスト』記事を“真っ当な”情報という前提で、ボクが窃盗罪を犯したかのように書いてきたのだ。
 当時、「自分には鋭敏な皮膚感覚があってモノの善し悪しが判断できる」と豪語していた康夫に言ってやろう。アンタの皮膚はただれてるよ!
 最近よく康夫が使う「プロフェッショナル」という言葉を使ってやろう。「プロフェッショナル」なアンタは、“被害者”だというKの申告に基づいて、事情聴取をしただけで警察が過ちを犯さないかのような前提で、ボクが窃盗罪を犯したと決めつけたんだ、とね。嫌疑を受けたというだけで、人を犯人だと断定できるのかね。

 それだけでない。康夫の記事は、オタク評論家を名乗るボクという人間の存在までもを貶める誹謗中傷記事にさえなっていた。スキャンダルで窮地に立たされていたボクに対する非道な追い打ちだった。しかも、それは一度のことではないから、同じ文筆業者として、かなりの悪意をボクは感じ取った。
 『朝日ジャーナル』(朝日新聞社)92年5月15日号の武田徹との対談記事の中では、極めて不自然にわざわざボクの話を始め、しつこく責めたてている。
 また、『週刊SPA!』(扶桑社)92年5月20日号の田中康夫連載コラム「神なき国のガリバー」でも、ボクがある「親しい理解者」から窃盗罪を自白するようにアドバイスされたなどと、とんでもないデタラメを書いている(明らかな事実誤認に基づいて記しているわけだ)。そんなアドバイスをしてくれる、親切というかお節介な人はいないよ。
 これらの記事で田中康夫は「オタクはテレビに出るな」などとオタク論さえぶっているのだが、この発言には彼の深層心理が見え隠れさえしている……。

(つづく。次回はその田中康夫原稿を引用し、検討することにする)

 

 

 

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