田中康夫問題入門編第三章!

 

週刊SPA!1992年5月20日号検討する!!

 

前回アップした「第二章」の最後に「逃げ道はないよ」として、対談原稿だからという言い訳は通用しないことは記した。
 追記しておくと、
田中康夫の99年3月15日の日記では“「NAVI」の対談原稿に手を入れる。‘パラノイア’故にか、常に最低3時間半は加筆に要する”と書いている。とすれば、当然『朝日ジャーナル』の対談原稿にも充分時間をかけて手を入れたんだろう。ふ〜ん‘パラノイア’とおっしゃる。じゃあ、これからボクにも徹底的に応じてもらうことにしよう。(宅八郎)

 さて、1992年に発表された問題の田中康夫原稿をさらす第二弾だ。今回は対談記事ではなく1ページのコラム記事なので、全文をそのまま引用する。前回と同様に記事をブロックごとに分けて、その後に「※印」でボクのコメントを加えておく。
 今回は『週刊SPA!』(扶桑社)1992年5月20日号に掲載された康夫の連載コラム記事だ。
 連載名は「神なき国のガリバー」通し番号はVol.95である。

(記事タイトル)
8マン姿の記者会見で自身のアイデンティティを放棄した宅八郎の悲喜劇

※ここでまず「8マン姿の記者会見」と唐突に出てくるので、説明が必要だと思われるが、これは『週刊ポスト』(小学館)92年4月17日号のねつ造スクープ記事が出た際に、ボクが行った記者会見のことである。
 ちょうど、その頃ボクがよく出入りしていたリム出版で実写版『8マン』の制作が進んでいた。それでコスチュームを作って、よく着ていたのである。緊急記者会見の場所がなかったので、急遽リム出版の会議室を貸してもらうことになった事情がある。
 人がどんな姿で記者会見をやろうと勝手、コスプレは自由ではないだろうか(笑い)。

(本文)
 街中で車を運転していると、取材現場に駆け付ける途中なのか、横腹(サイド/引用者注・原文ではルビ=振り仮名、以下同)に「報道」と大きな文字が記されたTV局のジープやライトバンが、猛スピードで走り去って行くのに出交わす(でくわす/注・同)ことがある。
 すると、サイレンを鳴らしている訳でもないのに、一般車両は道を譲るのだ。何故か? それは多分、一時代前に街頭テレビでTVクルーが撮影を始めると、人々が集まって来たのと同じ心理に基づく行動なのではあるまいか。
 きっと、マスメディア、別(わ/注・同)けてもTVという媒体は、人々の心理状態を昂進(こうしん/注同)させる触媒機能を有しているのだ。それは、新聞、雑誌といった活字媒体では持ち得ない魅力であり魔力のように思える。

※このコラムは難解な漢字に無理な振り仮名(ルビ)をふってあることで、非常に読みにくい「下手な文章の典型」のようなコラムだった。文学者ぶりを協調しているとも、「こけおどし」とも思える。こうして引用しようとすると、カッコ書きで面倒な注意書きが必要になるが、御容赦願いたい。
 さて、このブロックでは、人々の心理状態までは心理学者でもないボクにはわからないが、少なくとも田中康夫という人間は、活字媒体では持ち得ない魅力・魔力をテレビ媒体に感じていることはわかる。では次。

 例えば、新聞記者なり雑誌記者なりが街頭インタビューを行なっていたとする。歩むスピードを緩めて横目でその様子を見る者は、結構、居よう。が、じっと立ち止まって、或いは傍にまで近寄って、耳を欹(そばた/注・同)てる向きは少なかろう。
 仮令、横にカメラマンも居たとしてもだ。渋谷の公園通り付近で屡々(しばしば/注・同)、行なわれている女子大生・OL向きの大判月刊誌の街頭スナップ取材、撮影光景を思い起こしてみれば、良く判る。
 いや、それどころか昨今は、TVクルーが渋谷の街で撮影していても、人々は歩む速度を落とすこともなく、寧ろ、足早に過ぎ去って行くではないか、と唱える読者諸兄も多かろう。
 それも、認める。が、率直に認めた上で、次の意見を述べることとする。実はそれらの人々は、無関心を装って足早に通り過ぎることこそが「都会人」の必要条件である、と自分に言い聞かせているのではあるまいか、と。

※都会人というのは、必要条件を考えたり、自分に何かを言い聞かせて行動しないと思いマース!

 

テレビの魔力について語る田中康夫

 

 TVとは、自分もそこに写し出されてみたい、という欲求を人々に抱かせる媒体なのだ。そうして、実際に件の欲求が達成されると今度は、自分が他人から見られていることの快感を意識するようになる。スポットライトには、そうした魔力が存在する。
 故に、一旦、TVに登場した人々、それも歌手、芸人なる最初から画面に写るべく運命づけられていた職業以外の、例えば学者、評論家といった人々程、件の快感を失いたくないと躍起になるのだ。
 が、不幸にも彼らは、快感を失いたくない一心で画面に登場し続ける内に何時(いつ/注・同)しか、本来、持っていた筈の粗削りな魅力を逆に捨ててしまい、結果、画面収まりの良い単なる駒の一つに落ち着いていってしまうのだ。舛添要一なる人物の軌跡は、それを如実に物語っている。

※これは世間の人々に対する一般論というよりも、田中康夫という人間がそう感じているという意味にしか読めなかった。つまり康夫は「テレビに写し出されてみたい」と欲求し、「他人から見られていること」に快感を意識している人間なのだろう。さらに「その快感を失いたくない」と躍起になっているのは、康夫なのである。
 カンの良い人には、田中康夫が書いたこのコラムの文章が、まさに自分自身のために書かれた文章のように読めてしまうのではないか。しかし、そのことを康夫自身は気づいていない可能性がある(このへんはフロイト研究者など心理学者の分析にゆだねる)。
 また92年当時、舛添要一をこう評しているわけだが、現在では同じ政治家になった舛添についてどう思っているのかはわからない。
 ところで、97年7月2日の田中康夫の日記では作家の柳美里を批判し、“およそ表現者からは程遠き「タレント」に他ならず”と評している(『東京ペログリ日記』。タレントをカッコ書きで書いているあたり、タレントを差別しているようにも、またタレントごときは表現者ではないとも読める。こいつのベストセラー作家への嫉妬ぶりはちょっとおかしいが。
 まあ、このあたりまでは「カンの悪い批評家」の仕事として許してあげてもボクは構わない。
 ところが、どっこい。以下がこの原稿のメインテーマであり、ボクが問題にしている「問題箇所」である。

 

或る親しい理解者とやらの助言

 

 実は、宅八郎という名の人間の喜劇もまた、その点に存するのではあるまいか。刑事事件の当事者となるやも知れぬ状況に陥った際、如何なる心構えでTVの記者会見に臨むべきかと彼に尋ねられて、或る親しい理解者は以下の助言をした。
 会見場のマイクで自身の頭を殴って殴って殴りまくって血を流しながら首(こうべ/注・同)を垂れて、確かに葉書を盗みました、けれども、僕はこんなにも相手が許せなかったのだ、とのみ叫び続けてこそ、おたくの面目躍如ではなかろうか、と。

※たった5日前に出た『朝日ジャーナル』92年5月15日号(朝日新聞社)では、“盗む”とハッキリ記されているが、このコラムでは“刑事事件の当事者となるやも知れぬ”と表現されている。そこで表現は「後退している」という判断はあるかもしれないが、問題がないわけではない。“やも知れぬ”と付ければ、何を言ってもデタラメを書いてもいいのか、ということだ。
 そして、“或る親しい理解者”とかいう人間の助言は、要するに盗みを「自白しろ」という意味にしか読めない。であるなら、犯罪を犯したという前提での文脈で多くの読者は理解するだろう。
 しかも、少なからず併読者はいたであろう雑誌に立て続けに記事が出たことで、「宅八郎という人間が郵便物を盗んだ」という「認識」を世間に流布したことは間違いない。
 またボクが他人に“如何なる心構えでテレビの記者会見に臨むべきか”を尋ねたという事実もないし、誰からも、田中康夫が記しているような「自白アドバイス」を受けたという事実もない。
 ここで不思議なことがある。その“或る親しい理解者”の助言とは、5日前に出た『朝日ジャーナル』で康夫自身の意見として表明されていることと、ほぼ同一である点だ。おかしい。このあたりの事実関係については、まだ記すことがあるが、解説が長くなったので最後のブロックに移ることにする。

 が、既にスポットライトの魔力に取り憑かれてしまっていた彼は、その助言を一笑に付すと、団塊の世代が生み出したへんたいよい子よろしく、8マンの格好でおちゃらけな記者会見を行なうことで逃げ切ろうとしたのだ。
 まやかし(フォニー/注・同)ものばかりが持て囃される昨今の日本においては賢明な演出だったのかも知れぬ。事実、「FLASH」に代表される知性(メンタリティ/注・同)無きマスコミは、この人物が犯かしたやも知れぬ犯罪の有無にはまるで触れる事なく、8マンを裏切った8番目の恋人欠番穴埋め公募記事というおちゃらけを“共同正犯”している。
 けれども、おたく評論家として登場した宅八郎は、引き換えに自身のアイデンティティを放棄したことになるのだ。いや、それは見られることではなく見る快楽こそがおたく特有のアイデンティティなのを忘れてTVに出演した時点で既に決着がついていた悲劇だったのであろう。

※助言を受けた事実がないのだから、当然アドバイスを一笑に付したという事実もない。
 ところで、92年当時であっても“へんたいよい子”=「ヘンタイよいこ」という言葉は死語になっていた。この言葉はコピーライター糸井重里が雑誌『ビックリハウス』(パルコ出版)を舞台に生んだ流行語だが(ヘンタイの表記は片仮名が正しく、よい子ではなく、よいこ)、その『ビックリハウス』はとっくの7年前、1985年11月に廃刊されているのだ。当時のボクは怒っていても、完全に時代遅れな田中トレンディ康夫のこの部分の文章だけは笑えていた。

 出たー、フォニー(笑い)。“まやかし”にルビ振って“フォニー”かよ。“知性”“メンタリティ”とルビを振っているが、「インテリジェンス」のほうが適切ではないだろうか。逆にメンタリティとルビを振るなら、漢字は「心性」などのほうが適切だと思われる(田中康夫自身は96年3月18日の日記で、メンタリティの訳語は「心智」が似つかわしいと述べている)。結局この人の英語、適当なんじゃないかよ。

 また「FLASH」の記事というのは、『週刊ポスト』記事が出た後に、あまりにも告白女性Mの発言が一方的でおかしいという認識で、“裏切られたボク”をインタビューするという主旨の記事のことである。
 最後の部分(喜劇が悲劇となる箇所)で、康夫は“見られることではなく見る快楽こそがおたく特有のアイデンティティ”としているが、これはどうなんだろう。まあ、この人はそう思ってルンだろうね(おたくを自認するみなさーん、どう思いますかー?)。

 『朝日ジャーナル』の記事では「宅八郎は本当のおたくじゃない」と切り捨てているが、こちらの文章では「宅八郎はおたく特有のアイデンティティを忘れた」としている。この人は宅八郎をおたくにしたいのか、おたくにしたくないのか、どちらなのか全くわからない。論理的整合性ゼロだ。

 

康夫のテレビに対する独特な考え

 

 さて、田中康夫はこれまでにテレビというメディアについての考えを何度となく表明しているが、1994年1月21日の日記に記している以下の考えはその典型である。
 “TVは出るもので見るものではない、というのが自論”『東京ペログリ日記』
 ふ〜ん、つまり自分はテレビに出るけれども、おたくはテレビに出てはいけない、ということですかぁ。田中康夫はテレビに出たいけれども、宅八郎はテレビに出てはいけない、と。自分は出るから、お前(あるいはお前ら)は黙って見ているだけでいいんだ、と。

 これが、みずから「奉仕者」となったと、のうのうと言っている人間の本性か。震災後の神戸でのボランティア活動を経て、現在は県知事として長野県民のための「奉仕者」になったと、のたまう人間・康夫の本心が見えてくる。今や「自分は県知事をやりたいけれども、県民は黙って自分に従え」とでも言いたいんじゃないのかと思えてしまう。
 かつて、テレビが持つスポットライトの快感・魔力に取り憑かれてしまっていた康夫は、今や県知事という権力者としての快感・魔力にも取り憑かれてしまっている可能性は高いだろう。

 前回のレポート「朝日ジャーナル1992年5月15日号を検討する」で、康夫が“過去に対するおとしまえ”について言及していることは述べた。
 さらに、97年9月1日の日記で田中康夫は“誰もが常に「歴史」と向き合わねばならぬ。いわんや「メディア時評」を物する向きに於いてをや”と述べている(『東京ペログリ日記』)。
 11年も前のこと、などとは絶対に言わせない!

(以下、次回に続きます)

 

 

 

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