『宝島30』(宝島社)1994年2月号!

超ワイド特集「オトコ30代の大論点」収録原稿!!

 

「おたく」は「大人」になれるのか
「大人になれ!」というお題目の無意味

 

 

 

 お題を編集部に与えられて考えたが、「おたくは大人になれ!」と言いたがるのが、おたく自身の特徴のように思う。

 しかし簡単に大人と言っても、それぞれに「大人」は違う。たとえば今の三十代の大人と、三十年前の大人が同じだとは思えない。別に「大人」じゃなくてもいい。目の前にある問題(たとえば法律など)をどうクリアするか、がより問題だと思う。たとえば締切りを守らない大人よりも、ちゃんと原稿を入れてくれる子供のほうが編集者はうれしいはずだ(遅れてすみませんヒルマさん)。

 最近、おたく世代の若い言論人たちが現れてきた。そして彼らの言説のありようとからめて「近頃の若いヤツらはみんな新保守主義に傾いている」などと言われている。
 ここで、新・保守という意味は「新」が付くだけにまだ曖昧だが、政治的な左右といった単純な意味あいでなく、近代主義(旧来の思想、イデオロギー全般)に対抗する立場という意味での、潮流のようだ。

 そんな状況下で『図書新聞』十二月四日号「おたく世代と新保守主義」と題された、浅羽通明大月隆寛の対談が掲載された。
 対談の冒頭で浅羽は、すべての「価値」を信じない「現実主義」と「現実肯定」が新保守主義の正体だとして、おたくと新保守主義はニヒリズムという同じ根がある、と整理してみせている。

 そうした「おたく(新保守派)」のぼんやりとしたイメージがボクにはある。
 オレらは頭がいいと思ってて、事象をニヤニヤと高見の見物を決め込んで、静観するだけの姿勢。絶対安全圏---言い訳のきく世界から出ない人。すでに出た結果の分析しかできない人。勝負できない人。当事者感覚のない人。疑似インテリとでも言うべきイメージだ。
 それは他ならない彼ら浅羽&大月の熱心な読者じゃないかとボクは思っている。そして、そんな人は、最近の若い編集者にも多い。

 対談は佐藤健志福田和也らと同一視されたくないらしい大月の、浅羽に同意を求める発言から始まるが、最初から浅羽に乗り気のないところを見せられ、ダラダラと不毛で退屈なまま続いている。
 あらゆる思想がお題目にすぎないのだとしても、ボクの貧しい理解では、彼らの対談中の発言もまた、下らないお題目としてしか読めないのだ。
 ボクは今、二人が心配になっている(特に浅羽さん)。彼らの客はあまりにも質が悪すぎると、かねがね思っていたからだ(特に浅羽さん)。

 やや話は飛ぶ。
 どう考えても、ボクが新保守なわけはないよね(笑い)。左翼でもないと思うが。「おたく--新保守」という図式は宅八郎一人によって破壊される。
 おたくと呼ばれる人は宅八郎には敏感だ。「宅八郎はおたくだけど、私はマニアですから……」「宅八郎は本当のおたくじゃありませんよ……」と有名無名を問わず、おたくに言い張られたことは多い。ボクはおたくなのか、おたくじゃないのか……。
 ボク以外にこういう反応を示された人物が一人いた。連続幼女誘拐殺害事件のM被告である。彼が逮捕され、「おたく」という言葉が広まってから四年が経った。ボクが雑誌&TVデビューしてからも、そろそろ四年だ。
 この間に、さまざまな「おたく論、おたく世代論」が語られたが、そのほとんどは宅八郎を無視したものだった。たとえボクのナルシスティックな性格を引き算しても、ボクを避けて語られたという印象さえ持つ。
 宅八郎によって論理が壊れるからだろうか。逆に、論理を通すがために、宅八郎をおたくではないと見るのだろうか。
 しかし、世間一般の人におたくのイメージを聞けば、「宅八郎さんみたいな人でしょ」という答えが返ってくるのは明らかだと思う。かつて四年前に同じ質問をした時に「Mみたいなヤツのことだろ」と答えられたように。
 おたく以外の人には「宅八郎はおたくだ」と言われ、おたくからは「宅八郎はおたくじゃない」と言われる、この不思議。
 おたくは果たして世間-世界に通じているのだろうか。おたく読者に支持されるためには「おたく論」の中に宅八郎が登場してはいけないのだとしたら、そんな「おたく論」は現実に通用するものなのだろうか。

 

 ☆     ☆     ☆

 

 さて、ボクが虚しさを感じた「浅羽×大月対談」に話は戻る。
 彼らの読者は疑似インテリだろう。そして彼ら、おたく言論人は「疑似インテリに対して、インテリ批判をしてみせる」ことで、一部の客に支持されているだけであって、それはあまりに現実に通用しないように思う。
 自分の客だけにしゃべっている言葉。世間に通用しない言葉。
 客にしかアイデンティティがないのは仕方がないことかもしれないが、それにしても彼らの客はあまりに質が悪すぎる。
 彼らは最近特に「現実的に生きろ」と読者に説教している。これは、大人になれ、という意味にも近いようにとれる。
 しかし、まったく現実的に生きようとしない連中に言ってる言葉に何らかの効果があったとはボクには思えない。いや、彼らの発言によって、ますます読者は現実から遠ざかっているようにさえ、思う。
 だけど……『宝島30』にこんなこと書いても仕方ないか?
 「おたくは大人になれるのか?」は、ボクにはわからない。しかしボクは自分が大人か大人じゃないか、そんなことはまったく考えないで今までやってきた。今後もボクは考えないでやっていくだろう。

 

 

著者注・あえて加筆訂正することなく、94年当時の原文をそっくりそのまま掲載しました。なお、捕捉する原稿は今のところ用意していませんが、もしかすると掲載するかも知れません。面白かったのはまったくの偶然ですが、大月隆寛がこの号この特集で「無自覚に茶化すだけじゃオトナにもなれやしねえ」という原稿を書いていた事です(笑い)。

 

 

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