宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 一 回  

 

 

chase2 : k と い う 男

 

 

 

 

 国立国会図書館は地下鉄永田町駅のすぐ近くにある。回りには政治の中枢、国家の心臓部ともいえる国会議事堂だの政党本部だの官庁舎だのがそびえ立っている。

このあたりでは、交差点ごとに警察官の姿を見ることができる。公安か警備の要員だろう。ああして彼らは国家体制と永田町の論理を守っているのだ。

「ぼく」は地下鉄永田町駅を降りると、改札をくぐって、いくらか長い構内を歩く。そして、階段を昇り、地上へ出る。

 三月だった。陽射しはまぶしかったが、まだまだ寒い。

信号機を渡って、「ぼく」は国会図書館の入口に向かって坂を下っていく。コートを着て足早に歩く人たちとすれ違う。そのほとんどは図書館帰りの人か、あるいは官庁の関係者だろう。

 国会図書館は日本で唯一の国立図書館だ。

 所蔵図書約五七〇万冊、雑誌約十一万五千種、マイクロフィルム約十九万、地図約三十四万枚、書架の総延長四一〇キロメートル、職員数は約八五〇人という、日本最大の巨大図書館である。

「ぼく」は国会図書館に着くと、建物の二階にあたる入口でロッカーに荷物を預け、利用申込書に架空の名前を記入する。偽名であろうと、身分証明を求められることはまずないからだった。次にそれを受付に出して利用カードをもらう。これは入館者のIDカードになっていて、紛失すると退館することさえできなくなる。

 開館時間は午前九時半から午後五時までだが、閲覧の請求は四時までだ。今はもう午後三時前になっていたが、閉架された資料を請求する予定はなかったから、あせりは感じない。

 受付を右に曲がって「ぼく」は目録ホールへ出る。ハデな石畳の床だ。黒、うす茶色、灰色、白の小さな石が組まれている。ホールを囲む、編み目状のコンクリートの間に取り付けられたステンドグラスも色とりどりのマーブル模様というハデなものだ。こうした時代がかった豪華さが国会図書館の権威を象徴しているようでもある。

 スピーカーから資料請求者を呼ぶアナウンスが聞こえてきた。イスに座って待っていた若い女の子があわててカウンターへ走っていく。いかにも図書資料を調べることに不慣れな大学生のようだ。

 国会図書館は慣れないと使いにくい。いや、慣れても使いにくい。ほとんどが閉架式になっていて、希望の本や資料を取り出すのに時間がかかるからだ。

 たった一冊出すのに二十分も三十分も待っていられない。大学病院の受付やお役所の窓口にも似た不便さと居心地の悪さのせいか、不慣れな利用者がとまどっている姿がよく見られる。

 ここに来れば何とかなる、と漠然と考えている利用者の多い中、図書館での調査に手慣れた人間にとっては、国会図書館はできるだけ後回しに行く場所だという感覚が「ぼく」にはある。

 しかし、「ぼく」が今日、わざわざここに来たのには理由があった。電話帳と紳士録を一気に調べたかったからだ。この参考図書室には、全国の電話帳が置いてある。そうした施設は他にもあるが、ここなら二つ隣の書架に紳士録、興信録が何冊かあったはずだ。しかも、参考図書室は開架式で自由に読むことができる。

 兵庫県芦屋市の電話帳が見たかった。なぜなら、Kの実家があるはずだからだ。芦屋市の電話帳にK家の番号が掲載されている可能性がある。

 「必ず、突き止めてやる」

 そうつぶやくと、「ぼく」は目録ホールを抜けて、まっすぐ参考図書室へ向かった。

   

        *

 

 巨大出版社SE社が発行する、若者向け週刊誌『週刊P』。

 その有名編集者がKだ。

 編集者は基本的には黒子としての存在だが(それが本来のあり方だとは言わない)、Kは編集者として『週刊P』の誌面に顔を出しているだけでなく、テレビやラジオの情報番組にゲスト出演することも多く、タレント編集者とも文化人ともいえた。

 Kが世に出た印象が強いのは数年前、ラジオの若者向け深夜放送番組でパーソナリティをつとめた時だっただろう。確かにギャグ交じりにトークする、そのキャラクターは強いほうだ。

 だからこそ、「ぼく」もKの存在は数年前から知っていた。ただ、彼を知った当初は良い意味でもも悪い意味でもさほどの興味を持ってはいなかった。

 しかし、最近ではテレビでも雑誌の発言でもずいぶんエラそうなことをさもエラそうに若者にお説教するもんだな、というのがKに対する印象になった。まるで社会派ジャーナリストを気取ってみせ始めたという、態度だった。

 しかし、急にそれだけで「ぼく」がKという男に対して強烈な憎悪を抱きだしたわけではない。ただ、何らかの苛立ちをKに感じ始めてしまったことは事実だとしても。

 そこで、不確かな苛立ちを感じてみると、気づくことがいくつかあった。

 まず、数年前のデビュー期にKがパーソナリティをつとめたラジオ番組の内容も、基本的には若者に対する「説教」に充ちていたこと。つまり、これは元来のKの資質であると見られる。

 テレビというメディアよりもラジオというメディアのほうがメッセージ性は強いように思える。例えば、ビートたけしの例がある。後に彼の弟子になった若手芸人には『オールナイトニッポン』の収録が終わるのを待って、ラジオ局の前で土下座して「出待ち」をしていた人間が少なくなかったいう。そう、ビートたけしが芸人の世界で地位を築いた理由には、ラジオを通じての「教祖と信者のような宗教的構造」が起因していたようにも感じられた。

 無論、Kとビートたけしを同一線上で比較することには無理がある。しかし、ラジオにおいて、リスナーに向かって発する言葉にはテレビにはないリアリティがある。しかし、Kの場合、リスナーに対する「説教」は聞くに耐えないものがあった。「説教」といってもKの場合はたんに威張り散らしているようにしか聞こえないからだった。

 ここに一本のカセットテープがある。

 数年前に放送されていたKのラジオ番組を録音したものだ。しかし、それは当時わざわざ録音したものではない。録りっぱなしにしていた古いカセットテープの山の中から、たまたま見つけたものだった。

 「日本全国の育ちの悪いリスナーの諸君、元気かな? Tお坊っちゃまU育ちのKです!」

 「ぼく」は熱心なリスナーではなかったが、何度か放送を聞いたことがあった。確か、毎回オープニングはこんな調子で始まるものだったはずだ。

 80年代の初期に、ビートたけしやタモリがラジオで始めた客に対する「罵倒芸」を、Kもまた継承しようとしていたようにも感じられる(もっとも、たけしらは芸風の中に「情けなさ」を含めることで知性をアピールすることも忘れなかったように思われる。しかし、Kはそうしたデリカシーには欠けていた)。

 「うりゃあ、うりゃあ!」

 大ゲサに、そして乱暴に叫ぶKの声だ。体育会系の、そう、たとえば応援団の男ががなるような威嚇をするかけ声のようでもある。こんな声をKはよく叫んでいた。これがKの「芸風」だった。

 そして、威張り散らすような態度は彼のデビュー期のラジオに限られたことではなく、現在のテレビや雑誌上の発言にしても同じだ。そしてKが多発する口癖に「天下の〜」というフレーズがあるが、そこには安っぽい権威主義が見え隠れしていた。

 確かに、雑誌やテレビ、ラジオでのKを見れば、強い立場の人間(より有名、より金がある、より年上、よりメジャー、より地位が高い、など)に対する態度と、弱い立場の人間(より無名、より金がない、より年下、よりマイナー、より地位がない、など)に対する態度が、まったく異なることに気づかされた。

 また、Kがよくギャグとして披露してみせる下品な下ネタジョーク一つとっても、人間性そのものが下品に感じられた。下ネタをギャグにしても品が感じられる人間というのはいるが、「ぼく」はKという人物にそうした印象を抱くことはできない。

 なぜKにそこまでの苛立ちを感じてしまったのか。それは、「ぼく」が他人の失礼さにはことさら敏感だったからだろうか。彼の「お説教」にせよ「下品さ」にせよ、他人に対する礼儀を欠いていた。そして、Kは確かにデリカシーのない失礼な男だった。

 「若者に対するエラそうなお説教」として、具体的に最近の例を挙げれば、「オタク」といわれる若者傾向に対して、Kが取った態度は際だっていた。

 Kは雑誌やテレビなどで「オタク族は親のスネをかじってムダなことに時間と金を費やしている」と繰り返し、「オタク族発生は親の過保護が原因だ」、「育ちが悪い」、「教育に問題あり」、「親に甘えるな」だのと、かなりしつこく発言している。

 世の中には大きなお世話を言いたがる人間がいるが、もしかしたら甘えているのはK自身なのではないか?

 そうした考えに思い至った時、「ぼく」のKへの興味は膨れ上がった。いや、興味以上の何かがそこに生まれた。

 バースディ! 近い未来、この男とは深く関わっていくことになるだろう、という予感が生まれた(そんな予感を「ぼく」はとても大切にしている)。

 Kが所属する『週刊P』のセールスは、ヌード・グラビアで支えられている。その一時代は、下り坂に入ったアイドルや女優がヌードを機に脱皮、といった企画で築かれたものであった。

 しかし、『週刊P』は女の裸を売り物にしながらも、「今、男は何をするべきか」「男よ立て!」などといった特集で、男・男・男、と「体育会系」ジャーナリズムを標榜している雑誌でもある。そのこと自体を悪いとは言わない。確かに『週刊P』には硬派の気骨を見せる記事もあった。

 しかし、その看板編集者としてのKの姿勢は傲慢だ。「T天下の週刊P軍団UのK」と自称して、威張り散らすことが果たして「体育会系」なのかは疑問だった。真の体育会系人間はもっと礼儀正しいはずじゃないのか。何が「P軍団」だ。「ぼく」にはKが見せかけの体育会系を気取る人間にしか見えない。

 まるで「疑似体育会系」とでもいうべき男、それがKだった。強い人間にはペコペコお世辞で固め、弱い人間にはしたり顔で吠えたがる、その姿勢。まるで自分がいじめられないために、さらに弱い者いじめをする「疑似いじめっ子」としての無責任な姿が、そこにはある。マスコミのバッシング体質はイジメの構造と相似形に思われるが、その意味でもKは象徴的だった。

 スカッとしてない! 「ぼく」は唾を吐き捨てた。

 

 

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