宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 一 回  

 

 

chase3 : 国 立 国 会 図 書 館

 

 

 

 

 Kの言動はいったいどのような育ち方に支えられたものなのか。

 「ぼく」はKのすべてを知りたくなった。彼がこれまで生きてきた、そのすべてを「ぼく」は見てみたいのだ。

 いつの頃からか、「ぼく」は「調べること」を趣味にしだしている人間だった。

 それは今思えば、「知識が世界を支配する」といった妄想に取り憑かれたからなのかもしれない。調べること――とりわけ他人について調べること――、それは「ぼく」にとって楽しみであり、趣味であり、生き甲斐になっていた。

 また、他人について「調べる」手法には尾行癖も当然、含まれている。「ぼく」は数年前から見知らぬ他人、たとえば女を尾行することが度々あった。

 だからといって、相手に対して何をするわけでもない。駅の改札を出た人間――たとえば女――がどこへ行き、何をしてから、何時頃自宅に戻るのか。その住居はどんな所にあり、何階のどんな部屋なのか。しっかり寝ているかい。そして行動パターンは曜日によって異なるのか。そのような事柄に「ぼく」の興味は尽きなかった。

 自分のやっていることに、いったいどんな意味があるというのだろう。単なる自己満足に過ぎないだろうか、と自問自答したことはあった。何らかのカタルシスを得ることができる以上の何かが、確かに感じられたからである。それは解答のない問題のようにも思えた。

 おそらくは対象を尾行し、観察し、またはビデオカメラで撮影することで、相手をそして世界を支配できるかのような気になったのだ。人を撮影したビデオテープも多数に及んでいる。生きた人間のまさに生きている時間の一部を切り取って(サンプリングのように)、テープに収めておきたい。これも「ぼく」のいくらか歪んだ所有欲――その自覚はかろうじてあるのだ――を満たすものだった。

 その意味では、「ぼく」はKを「支配」したくなったのかもしれない。神とか運命といった何かが「ぼく」にたまたまKを対象として選ばせたのかもしれないが、あるいは他ならぬKが「ぼく」を選んだのかもしれない。

 少なくともKの言動が「ぼく」を強く突き動かしたことは間違いないことだ。

 

 Kが兵庫県芦屋市の出身であることは分かっていた。

 K自身がそう語っている。

 「ぼく」はマスコミ人物録はもちろん、雑誌に載ったKのインタビューはほとんど目を通し、彼の仕事の記録ファイルも揃えていた。また、彼について他人が語った記事も集めていた。

 気になったのはその出生と育ちだ。

 Kは芦屋のボンボンでかなりスゴイ資産家の家庭に育ったと語っていた。また親しい知人や友人にもしきりに自慢していたようだった。

 兵庫県芦屋市といえば関西きっての高級住宅地。「西の田園調布」とも言われている。いや、関西の人間に言わせれば、それ以上だともいう。

「子供の頃からナイフとフォークの生活、おはしを持ったこともない」という談話や「芦屋は芦屋でも、ダイエーの中内功会長も住む六麓荘という超高級住宅地の出身だ」という自慢話もあった。

 しかし、自慢しておきながら、それらのことをK本人はすまなさそうに人に語っている。テレながら、あんまり言わないでくれ、と。

「裕福な生まれ」を隠そうとするのは、なぜなのか。単なるポーズか。それとも世間一般の庶民に対する彼なりの配慮なのか。しかし、確かなことがある。ポーズだけでなく、確かに彼はプライベートな情報や連絡先を徹底的に秘匿していることだった。

 過度の防衛は不安の現れでもある。この点はどうか……。プライドとコンプレックスの両方が絡み合って、Kのキャラクターが形成されたのだとは推測できる……。

 しかし、それほどの裕福な家庭に育ってKはナゼあんなに「貧しい」人間になってしまったのか? 品性のかけらもないのか?

 人様の、親の育て方を指図するような人間が果たしてどのように育ってきたのか。彼の人生を見てみたい。そして、この「ぼく」が彼の人生そのものを否定してやろう。そう思った。

 Kが育ったという郷里はまだ芦屋市にあるのだろうか? 芦屋市にKという資産家は今でも存在しているのだろうか……? 

 人は過去を忘れようとし、また修正しようとする。自分にとって都合のいい過去だけを覚え、それを都合よく人に語る。しかし、いくら人が過去を忘れようとしても、過去は人を忘れてはくれない。

 「ぼく」は人の過去を味方につけるのだ。

 

   *

 

 国会図書館の参考図書室で、兵庫県の「芦屋市・宝塚市・西宮市」電話帳を捜し出した。どの市も大きくはないらしく、三つの市で一冊になっていた。

ぶ厚い電話帳を手にとって、パラパラめくる。あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ……み……。ここだ。Kという名字を探して電話帳を開く。

 K姓の該当者は市内で二人だけだった。その名前と電話番号をメモする。

 たった二人か、案外少ないな。うまくいくといいけど……。この、どちらかがKの実家なのだろうか?

 K家が自慢どおりの資産家で名士の一族なら、父親の名が紳士録に記載されている可能性は高い。そこで、参考図書室の大きな机に「ぼく」はすべての紳士録を積み上げてメモを取ることにする。まず全国版の紳士録を何冊か調べてみた。電話帳に記載されていた二人はいない。チェッ。それでは関西版の紳士録ではどうか……。

 ヒット! 電話帳で確認した二人のうち一人の情報が記載されていた。やった、もしかしたら、 これがKの父親かもしれない。「ぼく」は一人でクククッと微笑んだ。もしも「ぼく」を注意深く見ている人がいたら、さぞや不気味に見えたことだろう。

 関西版の紳士録に掲載されている、その人物は大阪に本社を置く企業の社長を務めていた。紳士の情報をくまなく目で追う。紳士録には本人の最終学歴や職歴といったプロフィールに加え、申告していれば、趣味や家族構成なども記されている。もしも、この人物がKの父親なら息子の名も記載されている率が高い……。しかし、家族欄にKの名はなかった。残念だが、もちろん記載がないからといって別人だと決まったわけではない。

その人物が昭和四十四年に設立し、現在も経営する会社について、もう少し突っ込んでみることにする。『四季報』や関西地域の産業資料などを使って、資本金や主要取引先、社員数など、諸々のことを調べてみた。

 資料を見ていくが、結果は首をひねらざるを得ないものだった。「……ちがう。おかしいな。どうやら違う」。「ぼく」はつぶやいていた。

 会社の経営規模から考えて、その紳士は「大富豪」と呼べるほどの資産家ではない。それにこの人物は大正九年生まれだ。しかし、Kは昭和三十四年生まれである。Kの父親だとしたら年齢もやや高齢すぎる。祖父だとしたら若すぎる。

 やはりこの人物はKとは関係ない、と断定した。

 失敗だ。K家は電話帳にも紳士録にも記載されていないのかもしれない。確かにあまりの資産家・名士であれば、紳士録の類に掲載することは俗物的かつ成金的な功名心の成すものだ、と判断して掲載を拒否することもあるのかもしれない。当然、電話番号の公開もしていないだろう。あるいは、すでに芦屋から転出してしまっているのか……。

 まあ最初から、そううまくいくわけもないな。あわてることはない。そう気を取り直して見ると、空腹が急に気になりだした。腹が減っては戦はできぬ、か……。

「ぼく」はエレベーターに乗って、六階にある食堂へ行く。ここにはキャフトと一茶食堂という二つの食堂がある。「ぼく」は手前のキャフトで寿司を取った。とりあえず食事をしながら、これからどうするかを考えることにする。

 芦屋市にK家がまだあるのだとしたら、資料でどうにか確認できないものだろうか……。確認する方法はないだろうか……。

……そうか、そうだな。ある着想とともに「ぼく」は笑いを浮かべながらお茶をすする。こうなれば完全にして徹底的な方法をとるしかない。「ぼく」は最後の手を打つことにした。何日かはかかるだろう。そして、目薬が必要なくらいの眼精疲労に陥るだろう。

 そうとなれば、今日はとりあえず帰ろう。調査が進んで必要があれば、ここへはまた来ればいい。

「ぼく」は食堂を出ると、同じ六階にある売店でマンガを買って、それを読みながらエレベーターで一階へ降りた。

 国会図書館を出ようと歩いていくと、入る時にもウロウロしていた大学生らしい女の子がまだいた。可愛いな。まだ、とまどっている様子だ。なかなか調べ物が思うようにいかないのだろう。

 出口のロッカーから荷物を出す。さすがに公共施設だけあってロッカー賃はかからない。荷物を出すときにカギを開けると、最初に入れた100円玉が戻るようになっている。図書館おなじみのロッカーだ。

 「お帰りのとき100円を忘れずに」と書かれた紙が貼ってある。何気なく「ぼく」は隣のロッカーを見た。すると返却口に100円玉が残っている。利用者が忘れたのだろう。「ぼく」はサッと回りを見て、誰もいないのを確認すると、その100円玉をサイフに入れた。

 ツイてる。何となく、「ぼく」はKの調査がうまくいくような予感がした。

 

 帰りの電車の中で「ぼく」は考える。

 いつものように調査結果は細かく記録することにする。そうだ、それを定期的に当のKに送ることにしよう。

 ひどくブッ飛んだ着想だった。それは「ぼく」が世界と関わろうとすることを意味しているからだ。

 今までは調査をしようが尾行をしようが、「観察者」の領域にとどまっていた。それは生態系を調査する動物学者や、あるいは戦場カメラマンのようなものだった。

 しかし、今、「ぼく」は何かを踏み越えようとしている。「ぼく」がKの人生・生活に介入することによってKがどう動くかはわからない。そして、「ぼく」自身がどう動かされていくのかも今はわからない。

 だから……そう、これは「ぼく」にとっては新たな実験なのだ!

 実験という言葉のひびきに「ぼく」はゾクゾクするような、ときめきを覚えていた。

 今日の調査はあまり成果が上がってはいないが、それでもいい。とにかく「アナタのことを調べだすことにした」というコトがまずは伝えられればいい。今日のところは。

 そして、調査が進む度にKに調査報告書を送ることにする。

 「今回はここまでアナタのことを調べました」「今日はこんなことがわかりました」という調子に。

 あいつの恐怖に浮かぶ姿が目に浮かぶようだ。少しずつ少しずつ自分の事が調べられていくのだ。それが、少しずつ少しずつ報告書によって判明していくのだ。これは彼にとって恐怖なハズだ。

 帰りがけの電車の中に、待ち合わせに遅れそうなのか、しきりに時計を気にしている男性がいるのが目についた。落ち着きのない様子で何かをあせっている。

 そこで「ぼく」は考える。

 現代は情報化社会と言われているが、情報がまったく与えられないことを人は恐れる。

 たとえば、人と待ち合わせをしたとする。しかし、約束の時間に相手が現れないとしよう。その場合でも、遅れていることがわかっていれば、あるいは遅れる理由がわかっていれば、それほどの不安に陥ることはない。

 一番不安なのは何の情報もないまま待ち続けることのはずだ。もしかして時間を間違えたかな、とか場所が違っていたのかなといった不安を覚え、疑心暗鬼にかられていくはずだ。だからこそ、携帯電話が普及したのかもしれない。

しかし、情報が与えられないことよりも、もっともっと怖いことはある。

それは過剰に自分の個人情報をつかまれることだ。情報化社会といわれる現代で、知らないうちに自分の情報を人につかまれることがどれほど恐いものかを教えてやろう。

Kをそんな恐怖に追い込んで、その上で殺してやる! 恐怖にのたうち回った後にKは無残に死んでいくのだ!

 いつしか、「ぼく」はKの社会的生命を奪うことさえ夢想しはじめていた。

 

 (第一話終・第二話へつづく)

 

>>>NEXT      >>>BACK