宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 十一 回  

 

 

chase21 :  都 立 日 比 谷 図 書 館 と 関 東 運 輸 局 東 京 陸 運 支 局  

 

 

 

 

 現在もKが机を置く『週刊P』誌に関わる調査は慎重をきわめた。相手がKに近すぎるために、これまでのように相手の警戒心を解いて話を聞き出していくことが、ほとんど不可能だと判断したからだ。

 それでも、Kをよく思っていない人間やすでにKや『週刊P』との関係が薄れている人間をつかまえて、「ぼく」は話を聞き出していった。

 ある関係者は次のように言った。

 「Kは『週刊P』の看板編集者だからね。テレビやラジオにも出てるタレント文化人だし。編集長や副編集長がKを気に入ってたからね。回りの不満を抑えて守ってたっていうかさ。そういう部分抜きに付き合わなきゃならない現場のスタッフとしては、そりゃ苦労してますよ。威張ってるだけだし」

 Kは『週刊P』ではアダルトビデオ紹介ページやAV女優インタビューの担当なども持っている。ところが、AVメーカーや女優が所属する事務所での、Kの評判は芳しくないものであった。

 モデル事務所の人間たちはこう語った。

 「下らない男だし、安っぽい話ですよ。ウチの女の子はね、ヌードモデルやAV女優ですけど、さすがにセクハラまがいのことをされては事務所としては困りましたしね。まあ、セクハラ止まりだったとは聞いてますけど。それから金。わかりやすく言えば、便宜を図るからバックマージンを寄越せ、などというキック・バックをKが要求してきてたわけですよ」

 「まあ、有名人意識っていうのかな、タレント編集者だってことで、無理なことも言われましたよ。モデルの女の子にはKさんはうるさいから気を使うように注意もしたし。ああ、それからT天下の週刊PUとかね、T天下のUって言葉はKさん、好きだったみたいね。そうそう、天下のKさんってわけ。そのクセ、社員編集者だと会社が怖くてできないような要求を平気でしてきてたよ。フリーの役得って言ってたし」

 確かにKは巨大出版社・SE社の社員ではなく、『週刊P』編集部の契約編集者だ。契約といっても会社には社員編集者同様に自分の机を持っている。そして、編集部はさらに外部のフリーライターに仕事を発注して、誌面を構成しているわけである。そうした形は他の出版社や編集部でも珍しくはない。

 ただし、Kの場合、タレント編集者として優遇されていたためか、人間性の問題なのか、外部との関係は必ずしもスムーズではなかったようだ。

 すでにKとは仕事をしていないフリーライターたちは語った。

 「フリーの人間がフリーの人間に仕事を発注するってことは、ものすごくデリケートな部分があるんだ。あんまり具体的な事は言えませんけどね、ハッキリ言ってKはデリカシーもないし、最低の人間ですよ。まあ、金の事とか、言えないこともありましたしね」

 「あのKほど、自分は編集部員だって顔と、フリーなんだって顔を調子良く使い分けてたヤツはいないよ。仕事をもらってた編集プロダクションの人間はみんな怒ってたさ。ちょっと、これ以上は言えないけど」

 彼らはそれ以上のことは話してはくれなかったが、その強い怒りは伝わってきた。それまで、Kがまだ子供だった頃からの人生を追ってきた「ぼく」には、すべてが図式的に理解できるような気がした。T強者UとT弱者Uの間に立つKの姿は「疑似イジメっ子」、「疑似体育会系」というキーワードによって照らされている。

 スカッとしないものを、さらに「ぼく」は感じていた。

 

「ぼく」はKの過去を知る人に会い続けた。直接話を聞いた人間はこれまでに二十八人にも及んだ。電話を含めると関係者数は六十二人になる。

 そして、Kの人生は浮き彫りになっていった。

 「ぼく」はその調査結果を報告書にして、毎日のように、少しずつ少しずつKに送り続けていた。恩師や同級生の証言さえも含んだ、その内容にKは戦慄し、恐慌に陥っただろうことは想像に難くない。

 もちろん、そのためにKが報復を仕掛けてくることは充分に考えられた。

 そして、それは高校の同級生たちに話を聞いている頃に現実のものとなった。外出中だったために危うく難を逃れた形になったが、またしても部屋が荒らされたのである。今度は、何かを探すという荒らし方ではなかった。部屋中のモノというモノがぶちまけられ、刃物で切り刻まれていた。それは無言の威嚇と脅迫を込めた暴力的な荒らし方だった。もしも「ぼく」が家にいたら、今度こそタダではすまなかっただろう。

 しかし、凶行のすべては無人監視を続けているビデオカメラに撮影されていたのである。以前「ぼく」を襲った男たち二人の姿がハッキリ写っている。彼らもこのカメラには気づかなかったようだ。そのビデオは複製してKへの報告書に同封した。

 しかし、その後に襲撃はなく、もしかすると「ぼく」が送ったビデオテープを確認した上で証拠になるとみて、あのヤクザ者たちは手を引いたのかもしれない。もちろん、楽観はできない。常に油断は禁物だ。

 「ぼく」は身辺の警戒を以前にも増して強め、念のためにミリタリー用品などを扱う専門店で催涙スプレーと強力なスタンガンを手に入れていた。催涙スプレーもスタンガンも護身用グッズ、痴漢撃退用品として最近はよく売られている。

 催涙スプレーは、CNタイプと呼ばれる透明なガスもあるが、そのほとんどはOCタイプという、唐辛子の成分を含んだ赤色のガスを二、三メートル噴出するものだ。その催涙ガスに身をさらされれば、ひどいことになる。激しい咳と涙は止まらなくなり、眼を開けていることも呼吸することも困難になり、苦痛のためにしばらくは動けなくなる。

 また、スタンガンはスティック状の本体から出ている二つの電極を暴漢に押しつけることで、強力なタイプでは二十万ボルトほどの高電圧の電流を一気に放電する。痛覚に与える強烈なショックで戦意を喪失することは間違いなかった。

 襲撃があれば、それらの効果をあの男たちにお見舞いしてやるつもりだ。

 

 しかし、どうしてもわからないことがあった。

 Kはなぜ「芦屋」という地名をわざわざ持ち出したのか。たんに有名な高級住宅地だからか。芦屋はKにとって、まったく縁のない土地なのだろうか。なぜ芦屋なのか。「芦屋の謎」、それだけがわからなかった。

 調査に乗り出してからかなりの日数が経過している……。

 その日も「ぼく」は、また霞が関へ出かけることにした。日比谷公園の中にある都立日比谷図書館へ行くためだ。日比谷とはいうが、地下鉄の霞が関駅のほうが近い。日比谷駅からは日比谷公園を横切らなければならないため、かなり歩くことになる。

もう何日めになるんだろう。「ぼく」は三階にある新聞雑誌室に通いつめていた。

 日比谷図書館の蔵書は約十三万冊、雑誌のバックナンバーは一一五三誌。そのすべてが開架されている。兄弟分である都立中央図書館の雑誌蔵書数は九三三〇誌と数の上では上回るが、閉架式の煩わしさを感じて、「ぼく」はここ日比谷図書館を選んだのだ。

そして、雑誌のバックナンバーが置かれている新聞雑誌室で「ぼく」は過去の『週刊P』をたんねんに一ページずつ読んでいたのである。

それでも手がかりは見つからない。

Kが『週刊P』に所属してから、すでに八年が経過していた。こうなれば、八年間分のバックナンバーすべてを遡って読むつもりでいた。週刊誌は年間に約五十冊が発行されるから、八年間分というと約四百冊という計算になる。一冊約二百ページとして、総ページ数は約八万ページだ。

 ただし、日比谷図書館ではバックナンバーは三年間分しか保存されていないため、それ以前のバックナンバーに関しては、雑誌が五年間分保存されている高田馬場の六月社、さらに前の分は国会図書館にでも行ってチェックするつもりだった。

 腐るほどのページ量を読破しなければならない。しかし、Kが関わった記事、彼に関する記述を見逃すわけにはいかない。パラパラと紙をめくっていても、つねに眼だけはいつでもギラギラと紙の上を走っている。おかげで恐ろしい集中力を強いられ、精神的な疲労は大変なものになった。

荒々しく『週刊P』をめくる「ぼく」の指が停止した。それは自動車関連の記事だった。流行していたRV(リクレーショナル・ビークル)の特集だ。

 RVは俗に言うアウトドア仕様の四駆(四輪駆動車=4WD)に代表される車のことだ。そのRVの中では、どんな車種が優れているか、どんな車種がリーズナブルか、どんな車種が女にモテるか、どんな車種が人気があるか、そんな記事だった。

 しかし、記事の大筋はどうだってよかった。「ぼく」の眼をとらえて離さなかったのは、Kの乗っている自家用車が誌面に出ていたことだ。

 トヨタ・ハイラックス・サーフ。

 それがKの車だった。このトラックベースの車がトヨタから発売された時のキャッチフレーズは「アメリカン4WD」だったはずだ。確かに日本の町並みに似合うとは思えない。もっともアメリカ合衆国でも似合う車だとは思わない。

 何が人の落とし穴になるか、わからないな。そう思いながら「ぼく」は笑いをこらえることができなかった。この記事がKを奈落の底へ突き落とすことになろうとは、まさかKも思うまい。

 あわてて「ぼく」は図書館を出る。そして、そのままKのマンションへ向かった。

 

 世田谷区×××六-三六-×近くの路上。

「ぼく」はKの自動車を探すことにした。マンション内の駐車場にその車がないことはわかっていた。このマンションに設置された立体駐車機では、RV車は車高、車重ともに大きすぎてリフトには乗らないからだ。そこで、「ぼく」はこのあたりの駐車場をすべて当たるつもりでいたが、すぐに車は発見された。

マンションから細い道路をはさんだ目の前に空き地がある。その青空駐車場の一番右奥に、Kの愛車、赤と白のツートンで塗られた古いハイラックス・サーフは置かれていた。

 これでKは、終わり、だ。

 これでKは、終わり、だ。

 これでKは、終わり、だ。

 

*

 

 

 翌日―――。

 「ぼく」は品川区の鮫州にある関東運輸局東京陸運支局に来ていた。ナンバープレートの番号から車両所有者、使用者の情報が割り出せるからだ。

 Kが乗るRV車のナンバーは手早くメモしてあった。駐車場、つまり車両保管場所が世田谷区だったため、区域から予想していた通り、品川ナンバーだった。

 東京では、運輸省陸運支局は交付ナンバーによって品川、練馬、足立、多摩に別れている。品川ナンバーの管轄は鮫州だ。

その日も鮫州の「陸自」は、車検登録、名義変更、移転登録などのために来た人たちであふれかえっていた。手なれた自動車ブローカーらしい人もいれば、おろおろしている女性もいる。不良少年じみた若者も緊張した面持ちでカウンターの係員の説明を素直に聞いている。

 「ぼく」は一枚二十五円の申請書類に二五〇円の自動車検査登録印紙を貼って、必要事項を書き込み、印鑑を押す。そして、横柄な職員の態度にムッとしながら窓口に提出した。

 しばらく待つとようやく呼ばれて、プリントアウトされた「登録事項等証明書」を受け取る。これは自動車の住民票のようなものだ。所有者と使用者の住所氏名、車庫の場所、車の形式種別、車台番号、エンジンの形式、用途などが記入されている。車検証(自動車検査証)とほぼ同じものである。

数日後、「ぼく」はこれをもとに損害保険会社で利用されているデータベースにアクセスし、情報を引き出すことにした。これでKの今までの交通事故歴、保険使用歴などがわかる。

「ぼく」は驚愕した。

そこに記入されていたKの本籍地は、何と兵庫県芦屋市だったのだ!

 

 

(つづく)

 

 

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