宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 十二 回  

 

 

chase23 :   危 険 な 斜 面  

 

 

 

 

 

 国道二号線から宮川交差点を曲がって北へ向かった。大阪湾まで流れ込んでいる宮川沿いの道路だ。上流へと登っていく。まさしく「上流」へと。

 そのまま真っ直ぐ行くとJR線にぶつかり、さらに阪急線を越えたところに、いかりスーパーマーケットがあった。東京でいえば青山に本店がある紀伊国屋スーパーのような高級スーパーだ。運転しながらNは言った。

 「ここら辺の芦屋の金持ちは、いかり屋の紙袋をゴミ袋替わりにして出すらしいんですわ。それが、この辺のステイタスらしいでっせ」

 さらに北上する。宮川をはずれて、小学校を越えると道路は右側にカーブしていく。

 芦屋市は東西を横切る国道以外は細い道路しかない。南北に動こうとするとクネクネと細い道を入っていかなければならない。六麓荘町までは阪急電鉄の線路から北側へほぼ二キロくらいだ。丘陵地になっていて、芦屋市内ではかなりの山側といえる。

ルノー5は六麓荘へ近づいて坂を登っていく。町の緑が深まってきた。広大な庭を所有している邸宅もこのあたりには多い。六麓荘町の、一軒あたりの敷地面積は一千坪以上というからそれも無理はない。

 確かにまぎれもない超高級住宅地だった。まるで高級料亭のようなお屋敷。ホテルや大使館のようなレンガ造りの洋館。何だこれは鹿鳴館か、という感じの家さえもあった。どこの華族や皇族が住んでいるんだろうと思わせるような、東京では見られない規模の家が建っている。

 ダイエーの中内功会長も、何年か前に起きた「芦屋の令嬢誘拐事件」の被害者もこの六麓荘町の住人だったはずだ。

 大きな屋敷の前には黒塗りのベンツが止まっていて中には運転手らしい男が新聞を広げている。たぶん主人の外出を待っているのだろう。

 この辺りへ来ると、不審人物として通報されそうな居心地の悪さに襲われる。立っているだけで犯罪だと言われてはたまらないが、人を後ろめたい気持ちにさせる威圧感が町全体にあふれている。町全体が一つの家だとすれば、まるで空き巣にでも入ったような気になってくる。たしかに「ぼく」は侵入者には間違いない。

 たまりかねて助手席の「ぼく」はNに話しかけた。

「何だかヘンに緊張しますよね」

 「そうですねえ。こんなとこフツーは来ませんもん。誘拐事件があってからは、地元の住民は警戒心が特別強くなってるらしいですしね。マジで通報されるかもしれませんな。ハハハハハ」

 共犯者は答える。

くねっていた坂を登りきったあたりでルノー5を停めた。緑の中を歩いていくと道端に「六麓荘町案内図」というプレートがあった。住宅地図のようなものなのだが、あらためて「ぼく」はそのプレートを見つめる。

 「すぐ近くですから、ついでに芦屋大学も見ておきませんか。せっかく遠くからきたことですし」

「ええ、そうですね。だけど芦屋大学って何ですか。アシヤダイガク。何だか天才バカボンのバカダ大学みたいなニュアンスですね……」

 道路沿いの電信柱にあった芦屋大学までの案内標識を見て、「ぼく」たちは歩きだす。

 芦屋大学は関西では有名な、謎のボンボン大学だ。隣接するお嬢様学校、芦屋女子短大が昭和三五年に創設され、この短大が母体になって芦屋大学は昭和三九年に創設されている。「名門」かはともかくとして、決して歴史のある大学ではない。

 六麓荘の住宅地の一角に芦屋大学の白亜の校舎はそびえている。しかし、近隣の家がデカすぎるために、大学の敷地だというのに特には目立たない。当然、高級住宅地の中だから、喫茶店や定食屋などの「学生街」などというものも存在しない。

 芦屋大学の門の前に着いた。回りをうろついてみる。入口という入口の柱の上には近づく者を威圧するように監視用TVカメラが設置されている。

 「何ですか、これは。スパイ映画じゃあるまいし。とんでもないですねえ」

 「ぼく」は驚嘆をもらす。このTVカメラの向こうはどうなってんだろう。映し出された画像を誰がどこで見ているのだろうか。

 Nが「ぼく」に言った。

「古い友だちが金持ちのバカ息子でね、ここのOBなんですわ。色々話を聞いてます。だから、この学校のことはけっこう詳しいですよ」

 Nによれば、学生たちは当然ながら電車で通学するわけではなく、大学構内に学生用の駐車場が確保されているのだという。しかも、軽自動車やワゴンなどは禁止。駐車場使用許可が出ないらしい。

 理由は「校風に合わないから」。同じ理由で学生のGパン着用も、アルバイトも禁止だという。Nはさらに話を続けた。

 「これは事実かどうかわかりませんし、今はどうかもわかんないですけど、この大学は毎週入試をやってるってウワサでしたよ。書けばいいらしいです。あとは面接。とにかく、親に金があれば入れるというウワサでしたねえ」

 「入試が毎週、ですか……」

 「あくまでもウワサ、ですがね」

 どちらともなく、お互いに「そろそろ問題の本籍地へ行きましょうか」と言いだしていた。さて、「オレは芦屋の六麓荘の出身だ」と自慢していたKの本籍地は残念ながら、この丘陵地帯・六麓荘には存在していない。

 Kの本籍地は、芦屋市親O町×××だった。

 親O町は市北部の山の手でも、市南部の下町でもなく、ちょうど市内の真ん中あたりに位置している。最寄りは阪急、阪神にはさまれたJR線の芦屋駅になる。

 六麓荘からルノー5はここまで来た道を戻りだす。住宅地図をたよりに、高級住宅地から車は下っていく。いかり屋スーパーを横目に阪急線も越えた。

 「ぼく」を乗せたルノー5はゆるやかなカーブを曲がって、長い坂を下っていく。

 近い、このあたりだな。

 Kの本籍地を住宅地図で確認して、少し手前の新築らしい大きなマンションの前に路上駐車した。道がゆっくりとくねっている。もうすぐ先がKの本籍地のはずだった。そしてカーブの向こうへ「ぼく」は歩きだした。

 カーブの向こうには何があるんだろう……。

 「ぼく」は一瞬立ち止まった。向こう側のまだ見えない空白の風景が、自分を拒絶しているような気がした。「ぼく」は見てはいけないものを見ることになるのだろうか。立ち止まらずにはいられなかった。

 空間の拒絶感にとまどいを感じていた。一種の恐怖といってもいい。無理やり「ぼく」を押しとどめようとする何かが、見えない向こう側にあった。

 それでも「ぼく」は見てはならないものを見なければならないのだ。勇気をふるって、「ぼく」はカーブの向こうへ一歩づつ歩きだす。

 Kの本籍地には、調査に乗り出してすぐに電話帳で見つけた菓子屋が建っていた。Kの本籍地、つまりKの祖父母が経営する菓子屋は住居も兼ねている。

 それをこの目で見た「ぼく」は驚愕した。

 その古ぼけた菓子屋はまさしく急斜面上に無理矢理建っていたからである。まるでこの町全体を象徴するかのような危険な斜面に建てられた崖っぷちの家だ。

 かなり古い、朽ち果てたような、バラック造りの家だった。

 住宅地図では高低差は確認できるわけもなかった。この目で見なければそれはわからないことだった。その急斜面を「ぼく」は見つめる。

 こんな場所に建てるなんて、どういう建築なんだろう。柱を固定する土台は大丈夫なんだろうか。部屋の中はまさか傾いているわけないだろうな。地震があった時にも問題ないのだろうか。

 建築関係の仕事をしていたことがあるNも苦笑し、そして押し黙ってしまった。何か知覚できない何かがその建物から漂ってくるような気がした。六麓荘町とは比べ物にならないまでも、周辺の町並みを見ればかなりのお屋敷や綺麗なマンションが建っている。そんな風景の中にこの住居はどことなく浮いて見えた。

 その斜面の土地は、まるですべての土の養分を吸い取られた絞りカスのような地面に見えた。まるで皮膚病のような地面の肌ざわりを「ぼく」は感じていた。病んだ斜面、この危険な斜面が、Kの本籍地だった。

 セミの鳴く声だけが聞こえていた。

 セミの鳴く声だけが聞こえていた。

 セミの鳴く声だけが聞こえていた。

 その斜面を「ぼく」はいつかどこかで既に見ていたような気がした。背筋が寒くなるような感覚にひたる。これは既視感(デジャブー)なのか。何が見えたのかはよく覚えていないが、確かに見たことがある。しかし、そんな記憶はありえない。理性は「気のせいだ」と告げた。

 セミの鳴く声だけが聞こえている。

 そして、実際に「ぼく」はその菓子屋が建つ危険な斜面の回りをグルリと歩き回って観察することにした。

 そこで、「ぼく」は愕然とした。いや、叫んでしまっていたかもしれない。

 その斜面から市の北側を見上げると、大富豪が住む壮麗な高級住宅地が垣間見えた。それは、一面、卑屈な視線によって天を仰ぐかのような視界だった。

 そして斜面から南側を見下ろすと、そこには一般庶民が住んでいる下町が見えた。まるで自分が丘の上に王然と君臨し、下界の人間たちを支配するかのような視界だった。

 それは実に象徴的な風景だった。

 危険な斜面。

 THIGHUでもTLOWUでもない、どちらでもないこの危険な斜面にこそ、「ぼく」は一般庶民でありながら最後まで「芦屋のボンボン」を演じきろうとした疑似男・Kの精神的なルーツがあるように感じた。

 精神的なルーツ。

 精神的なルーツ。

 精神的なルーツ。

 

 

(つづく)

 

 

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