宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 十四 回  

 

 

chase25 :   決 行  

 

 

 

 

 

 ほぼ一ヶ月間を準備にかけた。

 大事に備えて、自宅とは別に偽名で中野区東中野にもう一部屋、アパートを借りた。そう、そこは決行のためのアジトというわけだ。

 駅前の不動産屋を何軒か当たって、身元証明や保証人などの審査が甘い物件を選んだ。当然、管理人も持ち主も同じアパートには住んでいない部屋だ。「管理者」が身近にいるのは困る。

 また、賃貸契約の際には腕にグルグルと包帯を巻いて不動産屋に出向き、「ケガのために字が書けないから」と言って、契約書類はすべて業者に代筆させた。もちろん、書類には筆跡も指紋も残していない。

 そして、Kに関する資料や今後の行動に関わるものなどは、駅のコインロッカーと秘密の隠し場所であった自宅屋根裏から、すべてアジトのアパートに移す。もちろん、足どりを取られぬよう充分に警戒した。また、アジト用に安物の布団や着替え、鍋や食器類など最低限度の生活用品も別々の店で購入する。

 ただし、もちろん本格的に引っ越しをしたわけではない。生活の拠点そのものをすべて移してしまっては、かえって疑われるもとになる。だから寝食はこれまで通り、基本的には杉並区阿佐ヶ谷の自宅アパートで過ごす。

 しかし、当然、自宅をいくら家捜ししてもアジトにつながる痕跡は一切ない。逆にアジトにも自宅につながるものは一切置いていない。

 こうして「ぼく」は危険な二重生活者になった。

 着々と準備を進めていく。

 最初はKをさらって、山林にでも連れ込んで、下半身だけ地中に埋めて、拷問の末になぶり殺しにしてやろうか、と考えていた。

 さらうのが無理な場合は、K夫妻の自宅を襲ってそこで殺すのはどうだろうか、とも検討した。彼が住むマンション階下にあるMDF盤(集合配線端子ボックス)はすでに確認していたから、あらかじめ電話線を切断して助けを呼べないようにしておく――この場合、隣家の電話回線も切断して通報できないようにしておいたほうがよいだろう――。その上で、室内に入り込むのはさほど難しいことではない。その場合は、おそらくKの妻にも死んでもらうことになっただろう。

 悪夢の中で見たが、猟銃による銃殺計画も当然、検討した。また、そうでなければ毒殺もいいか、とも考えていた。たとえばだが、Kが住むマンションの給水設備を調べてタンクに毒物をぶちこんでやれば、できなくはなかった。もっとも、その方法だとK以外の住人が巻き添えでたくさん死ぬことになっただろう。しかし、毒殺は確実さと派手さに欠けていた。もちろん、毒物の入手も困難だ。

 「ぼく」は演出家のように考えた末に、Kを刺殺することにしたのだ。しかも、場所はSE社の『週刊P』編集部で決行する。それが最も血生臭く、見せしめに似つかわしかった。

 そう、メッタ刺しこそがKの死に最もふさわしい。

 「ぼく」をビルの屋上から突き落とした罰だ。この手でKを刺し殺してやる。

 できるだけ遠くに出かけて凶器を手に入れることにした。縁もゆかりもない江戸川区の金物屋で出刃包丁を買う。

 そして、上野にあるミリタリー専門店で軍用のサバイバルナイフを買った。

 また、渋谷区代々木にある刀剣美術館近くの刀剣屋で日本刀を入手した。

 誤解は多いが、銃器とは異なり、日本刀はそれ自体が登録されたものであれば、誰にでも簡単に美術品として買うことができる。銃刀法、つまり「銃砲刀剣類所持等取締法」に触れることはない。

 応対してくれた刀剣屋の女性店員には居合道の初心者と言っておく。その経験はないが、居合道に関しても充分に調べてあった。殺傷事故を恐れてか、なかなか真剣を使わせない流派が多いなか、まだ一部流派の道場では、真剣で巻きワラを切らせる練習を中心にしている。

 日本刀の価格はピンキリだ。無論、「ぼく」は骨董品として鑑賞するわけではないから、切れ味を考えた上で安いものを選んだ。どうせ一度しか使わないからだ。フフフッ。それでも三十万円という価格は「ぼく」にとっては高かった。

 当然、凶器を入手した際には、用心深く東中野のアジトに戻る。警察官の職務質問を受けたら、面倒なことになりかねないからだ。

 また、襲撃に備えて携帯していた催涙スプレーとスタンガンは防御用としてだけでなく、K処刑の際には使用することにする。

 ただし、催涙スプレーは逃走の際には利用できるかもしれないが、攻撃用には向かない。誤って自分が催涙ガスを吸いかねないからだ。また、入手したスタンガンは市販されているものの中では最も強力なタイプだ。放電される二十万ボルトほどの電圧は、感電させると痛覚にかなりのショックを与える。ただし、いくら強力なものでも相手に深刻なダメージを与えるわけではない。

 そこで、「ぼく」はパーツを入手して改造強化を施し、ダイヤル可変式で強弱を調整できるようにした。バッテリー・ボックスも追加付属したために一回り大きくなり、重量は増加した。テスターで正確に測ったわけではないが、計算上は四十万ボルトほどの電圧になっているはずだ。

 そうした工作、準備はすべてアジトで行った。

 逃走経路の確保などの必要もあって、アジトのある東中野の周辺は散策の末にかなり詳しくなっていた。深夜、奇声をあげる頭のおかしい夫婦者――その夫婦者の珍しい姓のイニシャルもKだった――がいたり、何だか東中野という場所は魔物が住んでいるようだった。そんな気がしたが、たぶん気のせいだろう。

 また、凶行にあたって重要なことはあった。現場となるSE社の社屋に関して、Kの調査に乗り出した時に調べてあったが、状況が変わっていないかなど、再確認すべきことを確認する。

 そして、すべての準備が整い、後は実行に移すだけになった。

 この約一ヶ月間――アジトを借りたり凶器をそろえたりという準備をしている間――、「ぼく」はピタリとKへ連絡することを一切やめていた。

 そのことで、嵐が過ぎ去ったかのような安心感をKがむさぼっていたとは思わない。彼の不安はむしろ増大したんじゃないかと思う。いや、そう願う。急に情報がまったく与えられなくなったのだから……。

 「ぼく」は最期の電話をKにかけることにした。ある日の夜半のことだ。

 悪魔のベルが鳴る。一回、二回、三回、四回……。そして運命の回線はつながった。

 「もしもしKですが」

 何気ない様子でK本人が電話に出た。

 「お久しぶりです、Kさん。ぼくですよ。芦屋の報告書はとっくに届いてましたよね」

 「アッ……。お前ッ…! これ以上、オレに何の用があるんだ!」

 「Kさん、ぼくはアナタの過去をすべて調べました。生まれも育ちも、本籍地の芦屋までも……。そう、アナタという人の人生は今、ぼくの手の中にある。そこで、アナタの現在も過去もすべて知ったぼくはアナタの未来を制したいと思います」

 「どういうことだ? それはどういう意味だ。お前はいったい何をするつもりなんだ!」

 「パァッと死んでいただきましょう!」

 「何?…………」

 「これが最後の電話です。もう、電話をかけることもないでしょう。アナタに直接お目にかかる日も近いと思います」

 「何だって! オイッ、オイッ、オイッ!」

 「それでは、会える日を楽しみに待っています」

 それでも何かを言おうとするKを無視して、「ぼく」は受話器をむごく静かに置いた。

        *

 一週間ほどが経過し、そして、その日はやってきた。

 決行はある晴れた日の午後だった。

 JR総武線の水道橋駅から都営地下鉄に乗り換えて、神保町駅に着いた。

 SE社は、水道橋やお茶の水駅から歩けない距離ではないが、所持しているものがものだけに用心を怠らなかった。ビクビクした素振りさえ見せなければ、歩いていくよりも電車で行くほうが警官の職務質問にあう危険が少ないと考えたのだ。

 強化スタンガン、それからサバイバルナイフや包丁はリュックサックに入れ、日本刀は専用の袋に入れてある。日本刀はゴルフバッグにしまおうかとも考えたが、袋に入れ、電車に堂々と乗っていればさほど不審なものでもない。現にこっちを警戒して見ている乗客など誰一人いなかった。

 改札をくぐる。いよいよだ。

 Kに最後の電話をかけてから、一週間ほどは様子を見るためにおいた。これも万難を排してのことだ。様子を見ていたが、Kが警戒して何かを仕掛けているフシはない。また、今日は会議のために一日在社していることもわかっていた。

 もちろん、Kはまさか今日が自分にとって最期の日になるとは思ってもみないだろう。

 「ぼく」は予告したことは必ずやる人間なんだ。

 「ぼく」は予告したことは必ずやる人間なんだ。

 「ぼく」は予告したことは必ずやる人間なんだ。

 三度、繰り返して、地下鉄構内の公衆電話の前に立つ。緑色の公衆電話の設置台には管轄電話局と設置番号を示すプレートが貼られていた。そして、「ぼく」はすでに暗記している『週刊P』編集部の電話番号をプッシュする。呼び出し音が二回半鳴って、相手が出た。

 「ハイッ週刊Pです」

 編集部員の声だった。

 「すみませんが、そちらにKさんいらっしゃいますか」

 「少々お待ちください」

 やはり、そこにいるんだな。

 どちら様ですか、と名前を聞かれるかと思ったが電話はそのまま保留音のメロディになった。もっとも名前を聞かれたら適当に佐藤とか鈴木とか答えるだけのことだ。

 「ハイッKです」

 聴き慣れたKの声だった。「ぼく」はその声を確認すると、そのまま受話器を置いた。いることがわかれば、それでいい。わざわざ名乗って警戒されることはない。

 ピーピーという電子音が鳴って、公衆電話機からテレフォンカードが出てくる。「ぼく」はカードを回収するとサイフの中にしまい、そのまま地上出口へ向かって歩きだした。

 たった今、元気に電話口に出たKが口をきけない物体に変わるのも、もうすぐだ。

 神保町駅からSE社までは、歩いてものの二分といったところだ。「ぼく」がそこへ行くまでにKに外出されてしまっては困るが、あわてる必要はない。

 晴れた空の下、「ぼく」はゆっくりとSE社のビルに近づいていく。

 うん、いい気分だ。陽気がいい。

 SE社ビルを見上げる。

 そのビルの屋上から人が飛び降りる瞬間を「ぼく」は見た気がした。

 いや、人が飛び降りる瞬間を見ているのが「ぼく」だったのか、「ぼく」が飛び降りた瞬間に地上に人を見たのか、わからない。

 飛び降りる時に感じたヒヤッとした感覚をも「ぼく」は味わっていたからだ。

 もしかすると、「ぼく」がビルから飛び降りるのを見ている「ぼく」を、さらに「ぼく」が見ていたような気さえする。

 まあ、どうでもいいことだ。

 一般企業に比べれば、出版社の受付を突破することなど、簡単なことだった。

 出版社には出入りするフリーの人間は多い。彼らによって仕事が進められているのだともいえる。だから、いちいち「面談の約束を取り付け、一階受付を通して、内線電話で担当者を呼び出して」などという手続きを通していたら、仕事などやってられない気にもなるだろう。それは一面正しい。だいたい、昼夜関係なく出入りがある出版社で一般企業のセオリーを通そうとすれば、無理も生じよう。

 出版社の中を探せば、社員であろうとフリーであろうと得体の知れない人間くらいいくらでもいるものだ。だからこそ、出版社に潜り込むことは困難ではない。

 形通りにはSE社にも一階受付はあったが、「ぼく」はあらかじめ手に入れておいたSE社のネーム入りの封筒を受付嬢に何気なく見せながら、急いでいる素振りで難なく通過する。そして、エレベーターに乗り込むことができた。

 もっとも、受付で誰何されスムーズに通過できなくとも、強行突破する気ではいた。たかがそのくらいのことで、Kを処刑するという大切な使命を放棄するわけにはいかない。

 エレベーターが五階に到着した。

 「ぼく」は『週刊P』編集部に入っていった。

 しかし、編集部では、誰も知らない人間がこうして入ってきたというのに気に留める者などいなかった。誰かの知り合いだろう、くらいに思っている様子だ。

 サッと、あたりを見回すがKの姿はない。

 実際のところ、内心いくらかあせるが、のんびりした口調で近くにいた編集部員に訊ねた。

 「あの、Kさんはいらっしゃいませんか?」

 彼は怪しむ様子もなく、「アレッ、今までいたんだけどな。お約束ですか。ちょっと待っててください。すぐに戻るんじゃないかな」とソファを指さしながら応えた。

 「じゃあ、ここで少し待たせてもらいます」

 「ぼく」はソファに座って、編集部内の様子を観察した。

 雑然としている。この場にいるのは二十人ほどだった。並べられた机には空席も目立つ。社員、契約編集者を含めて編集部員全員がそろってはいないようだった。おそらく、この若者向け週刊誌編集部は夕方から深夜にかけて本格的に動き出すのだろう。

 この程度の人数なら、邪魔にもならないな。「ぼく」は思った。無論、邪魔だてをされれば巻き添えにさせてもらう。仕方がない。大暴れになることはわかっていた。

 気分が落ちついてきた。ソファに座りながら何気ない様子で凶器を確認する。

 すでに改造強化スタンガンは懐に忍ばせていた。初っぱなはこいつを使う。電撃の調整ダイヤルは最強にしてあった。また、リュックの中の出刃包丁やサバイバルナイフ、それから日本刀もすぐに取り出せるようにしておく。

 この「ぼく」に不安や、とまどい、ためらいなど微塵もあるわけがなかった。「ぼく」の中には、Kを殺すという強固な意志と信念があるだけだ。

 迷いは一切ない。後は勢いだ。

 

 

(最終回「血の海」につづく)

 

 

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