宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 二 回

 

 

chase4 : 1 2 5 0 分 の 一 の 追 跡 と 百 年 間 の 徹 底 調 査

 

 

 

 

 会図書館へ行った明くる日、「ぼく」は念のために自宅押入の奥にあった『高額納税者名簿・近畿版』(清文社)を調べていた。

 納税資料を調べる手だ。もしも何らかの理由でKの父親の名が電話帳にも紳士録にも記載されていなくても、おそらくかなり高額の税金は納めているはずだからだ。

やや古い資料だったが、昭和六一年五月公示資料で芦屋市には一千万円を越える納税者は714人いることがわかった。ところが、その中にもKなる名字の人物はいなかったのだ。

 おかしい。困ったな。しょうがない。やはり最後の手しかない。

 「ぼく」は自宅近くの阿佐ヶ谷駅からJR総武線に乗りこんだ。水道橋に用事があった。着くまでの間、電車の中でぼんやり考える。さっき駅前の郵便ポストに放り込んだ封筒のことだ。

 K宛の「報告書」は数日後には着くだろうな。フッフッフッ。思わず笑みを漏らす。

 窓から外をながめていると、飯田橋をすぎた。次だ。社内アナウンスがスピーカーから流れる。

「次は水道橋、水道橋!」

 

 芦屋市の九一年三月一日現在の人口は8万8011人。そして世帯数は3万2752世帯である。

 兵庫県芦屋市にKという資産家は今も存在しているかどうか。調査のために直接、現地まで行く必要はない。東京でも調査は充分に可能だ。

 水道橋駅西口を降りると、「ぼく」は専修大学方向に向かって歩く。

 神保町と水道橋の間に、全国の住宅地図が買える「ゼンリン地図の店」がある。「ぼく」はそこで芦屋市の最新版住宅地図を手に入れた。A3という大きな判型のものだ。一万円という定価は高いなと思ったが、仕方がない。

 住宅地図は縮尺1250分の1、一軒一軒の家屋の世帯主名が記載された、配送業者や配達ピザ屋の必需品である。

 この地図帳一冊の中に、捜し求めるKの実家が存在しているかもしれない。住宅地図に記載された、芦屋市の住宅すべて三万世帯あまりを「ぼく」は虫メガネでチェックすることにしたのだ。最後の手だった。

 ムダかもしれないが、やってやる!

 何日か、かかった。

一ページずつ、三〇センチメートルの安っぽいカラー定規を地図に当てて、スライドさせていく方法を取った。定規の上あたりを並行に横に見ていってK家がなければ、定規を下にズラす。白色の地図を確認しやすくするため半分透けたカラー定規を選んだが、そのために眼球の疲労は倍加した。

そんな日が続いて、自宅アパートで「ぼく」はフラフラになっていた。目がチカチカし、目薬が痛いほど眼にしみる。

しかし、やはり芦屋市にKという家は二軒しか存在しなかった。電話帳で確認した二軒だけ。関西版の紳士録に記されていた社長宅と、もう一軒はただの菓子屋だった。この二軒以外にKという家は発見できなかったのだ。

もしかしたら現在、Kの実家は移転してしまったのかもしれない。いや、そうとしか考えられない。やはりムダだった。こうして「ぼく」は全芦屋市の調査に失敗した。あまりの精神的徒労と肉体的疲労が、痛い……。

   *

 数日後、「ぼく」は地下鉄日比谷線広尾駅を降りると地上へと歩きだしていた。麻布の町を一〇分ほど歩く。

 現在、兵庫県芦屋市にKの実家らしい資産家は存在していない。すでに、どこかへ転出してしまっているのだろう。

 現在いないのならば、過去を洗うまでだ! 

 「ぼく」は過去へ調査を遡ることにした。過去に兵庫県にKという名家は存在したかどうか? 過去100年間の徹底調査を試みることにしたのである。

 港区南麻布の有栖川宮記念公園に着く。その中に都立中央図書館がある。地下二階地上五階建ての大図書館だ。

 この公園にはカップルや、近隣に大使館の多い場所がらのせいか外国人も多い。緑の芝生の上に座り込んだカップルを横目にながめて「ぼく」は建物の中へ入った。入口近くには池があり、目の前には桜が咲いていて気分がいい。春の陽気を感じさせた。

 図書約121万冊、雑誌約9330種の蔵書を誇る中央図書館では、約十八万冊が開架されている。平日は夜八時まで開いているのも、うれしいポイントだ。また、五階にある東京室の資料はなかなか興味深い。

 窓の外にある桜の木の下でカップルがイチャついている間に、「ぼく」は三階にある人文科学室で、『昭和前記日本商工地図集成』(柏書房)を見ていた。

 これは、戦前の地図を集めたものである。K家が大きな旧家であれば、掲載されている可能性は高い。その「第二記・関西版」にくまなく眼を通してみた。何時間かかかったが、まだ終わらない。そろそろ退館時間がせまってくる。

 「ぼく」は数日がかりになることを覚悟して、帰りがけに広尾のアンナミラーズへ寄った。森高千里の初期のプロモーションビデオ、『ストレス』という曲のコスチュームのモデルになったミニスカート店員の女の子たちを見ながら、ぼんやりする。

 結局、数日間は朝から広尾の中央図書館へ来て、続きを見る日が続いた。しかし、そのすべてを見てもやはりK家は発見できなかったのである。

それなら過去の納税資料を調べる手だ。

「ぼく」は、やはり柏書房から出ている復刻版『日本全国資産家地主資料集成』を調べてみた。これは明治八年から昭和二四年までの高額納税者リストである。

 現在の近畿版・高額納税者リストの中にはKの関係者らしい人物は発見できなかったが、少なくとも過去にはいたはずだ。

 Kのプロフィール資料によれば、彼が生まれたのは昭和三四年だ。だとすれば、それ以前に彼の父親なり祖父なりが地元の名士として、経済的にも地盤を築いているのではないか。

 ところが、復刻資料をくまなく見た「ぼく」は自分の目を疑った。この納税資料によってもやはり兵庫県にKの祖父や父らしい高額納税者は記載されていなかったのだ。

どういうことだ? ……わからない。まさか、税金を払っていなかった、とでも言うのか。節税とか税金対策とか言ってもなあ……。わからない……。

「ぼく」は中央図書館の建物を出て、有栖川宮記念公園の芝生に寝転がって、一人つぶやいた。

 次の日に「ぼく」は国会図書館に行く。悪い予感はしていたが、とにかく念のためだ。以前行った、二階の参考図書室ではない。目的はマイクロフィルムなど非図書資料が保存されている本館四階の特別資料室だった。

 ここには『日本紳士録』が明治二二年から昭和一九年にかけて、『人事興信録』が明治三六年から昭和一八年にかけてマイクロ・シートフィルムになっている。

 「ぼく」はそれを検索してみることにする。

 しかし、悪い予感は的中した。やはりKなる名士は芦屋どころか関西全域にも見当たらない。そんなバカな……。

 自分の表情がこおばるのがわかった。ムカムカして気分が悪い。待てよ、落ちつけ。気分を変えたかった。「ぼく」は二階へ降りると、新館へつながっている連結通路を歩く。そして新館一階の喫茶店「花泉」に入ると、「ぼく」はアイスコーヒーを注文した。

 とにかく過去百年間の徹底調査を総合した結果を整理してみよう。

 (1)まず現在だ。兵庫県芦屋市にはKの実家と思われる、大金持ちはいない。これは電話帳でも、紳士録でも、納税資料でも、そして住宅地図によっても明らかな事実だ。

 (2)しかし過去にも、Kという姓の資産家、名士は芦屋市には存在していなかったことになる。とにかく明治時代から現在までの公式記録の上では存在しない。

 「ぼく」は間違っていない。……はずだ。

アイスコーヒーを飲みながら、「ぼく」は自問自答を繰り返す。論理的には落ち着いて整理できているはずだが、感情的には落ちついていない。挫折感と苛立ちだけが増幅していく。

 無論、Kという名前はペンネームじゃない。そんな初歩の錯誤は犯していない。大前提が間違っているわけではない。Kが本名で仕事をしていることは間違いない事実だった。

 おかしい。それじゃ、親の姓が違うのだろうか……。姓がKでなければ調べようがない……。待てよ。もしかしたらK家には、横溝正史の小説のような、おどろおどろしい血塗られた特殊な事情でもあるのだろうか。わからない……。

「ぼく」はアイスコーヒーを飲み干すと、帰宅することにした。自宅でここまでの調査経過を記録することにする。Kへの報告書を出すためだ。それは定期的に彼に届いているハズだった。「ぼく」が調査に乗り出したこと、どこまで調査が進んだか、を少しずつ記した「黒い報告書」だ。

 今回の報告書は、調査が行き詰まってしまったことを記すことになる。無論、それはまだKの手元には届いていないが、今ごろ、あいつは笑っているのかもしれないという気にさせられた。

 

 「ぼく」の調査が行きづまったことをKが笑っている……。

 

 ウオオオオオォォォォオオォォォーーーーーーーーーーーー!!!

 

 

 絶叫とともに目覚めた。「ぼく」はうなされて悪夢を見ていたのだ。それは誰かが大笑いしている夢だった。

 笑うな! 人のことを笑うヤツは殺してやる。「ぼく」を笑ったのは誰だ。キサマか、キサマか。キサマだな。夢の中で大笑いしているKが見えた。ハッキリと「ぼく」を笑うKの顔が見えた。

 いいや、もうすぐだよ。もうすぐ、アンタを殺してやる。

 コロス、コロス、コロス!

 ふとんから起き上がって「ぼく」はブツブツとつぶやいていた。

   *

 調査の糸口を見失ってしまってから、何日かが過ぎた。

 Kの過去を探る方法――それは地図というべきもの――が失われたのだ。こうなったら、現在の彼の身辺から過去へ遡る資料を探す以外に方法はない。Kの現住所や電話番号などから何かがわかるかもしれない……。

 しかし、当然予想していたことだったが、現在、K本人の名前は都内のどの電話帳にも記載されていなかった。また、彼は『週刊P』のフリー契約編集者だが、特に個人事務所はなく、すべての連絡先を同編集部にしていることも判明する。

 それでも何とか、仕事先を執拗に調査することで、緊急連絡先として自宅の電話番号だけは知ることができた。これは大きな一歩だ。しかし、現住所だけは、ようとして判明しなかった。

 いつまでも、彼に照準は合わない。スルリと、ボケた焦点の中にKが逃げ込んでしまうようだった。気のせいか、Kは「ぼく」に調べられていることを知って警戒を深めているようにも思えた……。

 電話番号がわかってもKに直接電話をかけるのは控える。電話するのは、ヤツの身辺にもっと迫った時だ。その時にこそ、電話の向こうのKを恐怖のどん底にたたき落としてやる。恐れおののく、その悲鳴をこの耳で聞いてやる。

 

 悲鳴を。この耳でだ。

 

 

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