宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 二 回

 

 

chase5 : 待 ち 伏 せ

 

 

 

 

何とかKの住所を押さえたかった。苦労して突きとめた電話番号から住所がわかればいいのだが、それは難しい。契約者の名前から電話番号を教えてくれる104番号案内でも、その逆は絶対に教えてはくれない。

しかし、Kは電話契約をしているわけだから、NTTのメイン・コンピューターには、その個人情報がすべて記載されているはずだ。

 

電話契約者の全情報は、NTTの「新顧客情報システム」(電話局総合支援システム)=TOTASと呼ばれるホストコンピュータにすべてインプットされている。

これは、加入権者名、電話番号、住所などの顧客情報がデータベースになっていて、それに料金、請求書送付先などが別ファイルでくっついた、カード型とリレーショナル型データベースの中間構造をとっている。このシステムは一九八五年に導入され(電電公社時代)、八八年三月に完備された。いわばNTTの心臓部である。

そしてTOTASから電話帳編集システム(DUET)に情報は送られ、さらに電話番号情報案内管理システム(ANGEL)のホストコンピュータにつながっている。

DUETの前システムは八二年三月に導入、現在の形で全国的に完備したのが八八年一〇月だ。そしてANGELは八六年に東京大阪地区の情報案内システムとしてスタートし、八八年十二月から八九年三月にかけて全国的に完備された。このシステムは東京と大阪に同一のデータベースが二台置かれ、仮にどちらかにトラブルが発生した時でもバックアップできるようになっている。

番号案内104のオペレーターが検索しているのはこのANGELだが、アクセスすること自体は簡単だ。パソコンからエンジェルライン・センター(0190‐104‐104)にアクセスすればいい。この場合、104よりも安く、一件十円で電話番号を検索することができる。

しかも、だいたいの居住地町名を入力するだけで正確な住所地番が表示される。しかし、電話帳掲載拒否ユーザーを検索した場合は、パソコンのディスプレイには「該当する掲載はありません」の文字が表示される。ANGELは編集し直されたものなので、掲載拒否のユーザーは検索できないのだ。

ただし、104のオペレーターが使用する専用ディスプレイには、未掲載ユーザーでも住所氏名だけは表示される。電話番号の表示だけが出ない場合に、オペレーターは「お客様のご要望で電話番号のお届けはありません」とアナウンスする。オペレーターにも未掲載ユーザーの電話番号だけはわからないのである。またディスプレイに名前すら出ない場合、オペレーターは「そのお名前でのお届けはありません」とアナウンスする。あの異なる二つのアナウンスには意味があるのだ。

つまり、未掲載ユーザーのすべての顧客情報はTOTASに侵入しなければ手に入らない。しかし、NTTのコンピュータシステムはすべてパケット通信(DDX)の閉塞システムになっているために外部からアクセスすることはできない。

呼び出すことができるのはNTTの営業所にある端末だけだ。その端末は電話料金請求書を発行する情報システムサービスセンターの料金総合システム(料総)につながっている。つまり、「料総」はTOTASのデータが基になっているのだ。このシステムによって、NTTでは全国どこの電話局でも料金の支払いが可能なのである。

こうなったら、NTT関係者を買収して端末キーボードを叩かせるか……。あるいはSE社の経理資料データを押さえるか……。しかし、それには時間と金がかかる。

 「ぼく」は原始的な方法だが、Kを尾行することにした。

 

 

 『週刊P』を発行する巨大出版社SE社は千代田区の神田神保町にある。その何日間かのあいだは、昼となく夜となく神保町あたりに立つ「ぼく」の姿が見られたはずである。

Kが週の何日出社しているのかもわからなければ、いつ来るのかもわからない。「ぼく」としては張り込む以外になかった。

そのうちに、『週刊P』編集部では毎週一回、編集会議が開かれていることや、入稿日と校了日(締切り日)などがわかった。それらの日には必ず、Kは出社しているようだった。

何回かKの姿もこの眼で目撃し、その度に「ぼく」の心は弾んだ。しかし、そこからが問題だった。なかなか刑事ドラマのようにうまくはいかない。何度も張り込みと尾行をはかるが、その度にヤツを見失う日が続いた。徹底的な尾行には、何人もの捜査員がトランシーバーなどで相互連絡をはかって遂行しなければ、成功させることは難しい。

しかし、何度失敗しても「ぼく」は決してあきらめなかった。どんなことをしてもKを追いつめてやる。そう自分に言い聞かせて「ぼく」は彼を追う……。

 

 

それは、Kの張り込み尾行を始めてから何日めかの夜だった。その夜は満月の怪しい夜だった。

その日も「ぼく」はいつものようにKを張り込んでいた。『週刊P』編集部にKがいるのを確認し、ヤツが仕事を終えてSE社ビルから出てくるのを「ぼく」は待っていた。もちろん、撮影するためのビデオカメラとともに、交換用のテープとバッテリーは大量に身につけている。

七時間が過ぎた。ただ、のんびりと過ぎてゆく七時間ではない。何があっても眼をそらすことのできない監視者にとっての七時間だ。そうした高密度の時間の中にこの数日間、「ぼく」は身を置いていた。

監視とは基本的には待つことを意味する。あらゆるスキは許されない。神経を張りつめ、何をも見逃さず、状況判断を繰り返し、待機し続けなければならない。

気が狂いそうな単調さの中で、時間感覚は狂ってくる。人間の精神力、持続力、集中力には限界がある。体力的な消耗もすさまじい。だから、監視を続けることは壮絶な神経戦であり、およそ人間にとって拷問と変わらない。

 興信所員などは職業的に身につけた耐性で感覚をいくらかでも麻痺させているのだろう。しかし、仕事でもなく、まったく何の苦痛も感じない人間がいるとしたら……、そいつは狂ってる――もしかしたら、「ぼく」自身がその狂人であるのかもしれなかったが――。

 夜半を過ぎたが、まだKは出てこない。社へ出入りする人間は誰一人として見逃してはいない。Kは仕事が遅くなっているようだった。もしかすると今夜、Kは徹夜仕事なのかもしれない。「今日はあきらめようか」、連日の尾行に心身ともに疲労しきっていた「ぼく」は、待ちつづけるか帰ろうか迷っていた。

ビルの一階から、何人かの人間が一団となって出てきた。あわててKを見つけようとする。残念だが彼はいない……。ところが、やや遅れるように一人の男が月明かりの中に姿を現した。

 Kだった。

 間違いない。「ぼく」の心臓は鼓動を早める。ヤツは急ぎ足で家に帰ろうとしているようだった。Kがタクシーに乗り込むのを確認し、大あわてで大通りでタクシーの空車を探す。

 これまで、都合良くタクシーがつかまらず、もたもたしている間にKの乗ったタクシーが走り去ってしまったことが度々あった。

 しかし、その日は偶然にも「ぼく」の目の前に空車のタクシーはやって来た。しかも、幸いだったのはKの乗るタクシーが赤信号で停止していたことだ。

 あわてて乗り込んだ「ぼく」は若い運転手に告げる。

「目の前のあのタクシーの後をつけて下さい!」

「はあ?」

「運転手さん、早く! 前の車を追ってほしいんです!」

「ア……、は、はい」

 信号機が青に変わった。Kの乗るタクシーは発進し、あわてて後を追う。

 運転手は不審げな顔で言った。

「それでお客さん、どちらまで行くんですか……」

「わかりません。とにかく前のタクシーを追ってください。ぼくの、ぼくの姉さんを家出させた男が前に乗ってるんです。お願いします。何とか、お願いします。運転手さん!」

「エッ。は、はい。わかりました」

 とっさに口から出まかせを言うと、若い三十代の運転手は真面目な表情に変わり、Kの乗る車を追いかけ出した。

 何日か前にもタクシーでKを追ったことがあったが、信号機に引っかかって最後まで尾行することはできなかった。運転手が気のない初老の男だったのも運がなかった。張り込みによって運良くKが社から出てくるのをキャッチできたとしても、その後の尾行はさらに困難なことだった。

 今日こそは何とか。その思いが強い。幸運にも信号や他の車にジャマされずに、車はピタリと後をついていく。

 「ぼく」はいつものようにバッグから小型のビデオカメラを取り出し、尾行シーンの撮影を開始した。今日こそはラストシーンまで撮りきることができるかもしれない。

 途中、何度か車線変更で他の車に割り込まれたが、ぼくの出まかせを信じた運転手の巧みな運転で、やりすごすことができた。多分の幸運が味方した。

 今日はツイてる。「ぼく」は思った。ツキはこっちの味方だった。

 深夜、道路を走る二台のタクシーの頭上には、真円に近い月(ツキ)が光輝いていた。追う者と追われる者、二人の運命を満ちた月光が照らしている。

この怪しげな追跡行の行方は、月(ツキ)だけが知っているのだ。

 

(第二話終・第三話へつづく) 

 

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