宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 三 回  

 

 

chase6 : 尾 行

 

 

 

 

Kの乗ったタクシーはSE社前から白山通りを皇居方面に向かっていた。そのまま皇居前の平川門に突き当たると、内堀通りを右折して竹橋の方角へ向かう。そして、国立近代美術館を横目に見ながら、回り込んで代官町ランプから首都高速道路に乗った。

 後を追う「ぼく」には、首都高に乗ることは予期できていた。SE社のある神田神保町から代官町ランプは最も近い高速の乗り口だ。こちらも一瞬遅れて料金所を通過する。

 代官町入口はトンネルになっている。「ぼく」の乗るタクシーは地下へ吸い込まれるようにして速度を上げていった。やがてトンネルをくぐると、首都高環状一号線内回りは地上に出る。

 そこでKのタクシーに追いついた。

お掘りの千鳥が淵を左手に眺めながら、道路はカーブして、皇居をぐるりと回り込んでいく。弧を描くように彼方へと延びていくハイウェイ。

 「ぼく」は窓の外を見た。車のヘッドランプが光の点となって一方向へ流れていく。美しい夜景だ。無数の光の粒子が光の束となって走る。そして、この二台のタクシーもまた、その光の粒子の一つなのだ。そのことが、どこか不思議に感じられた。無数の光の束の中で、一つの光をもう一つの光が明らかな意思を持って追っていく。まるで光ファイバーだな、「ぼく」は思った。

 ビデオカメラの録画ボタンは入ったままになっている。ハイウェイから見る光の束は、尾を引くように美しく撮影されているに違いない。

窓から見上げれば、夜空には無数の星と真円の月が輝いていた。まるで天空の星と、そして地上を高速で走る光の粒を支配するかのように、王然として満月は光輝いている。

「ぼく」は月に祈る。

 月よ月よ、今日こそはKを追いつめさせたまへ!

自分自身が光になるような浮遊感覚を感じて、ハイウェイを走っていく。自分が自分でなくなったような冷たい感覚がした。

「ぼく」はビデオ撮影をしながら、男根を握りしめ弄んでいた。そう、いつものように。鈍いうずきを感じながら、男根がすさまじく隆起してくる。何とも心地いい気分だ。勃起した男根は屹立し、追うことの快感に身を燃やしていた。

しばらく行くと、高速道路はみるみる地下へ沈んでいく。長いトンネルの中のオレンジ色の灯火に照らされて尾行は続く。ゆるやかなリズムに揺られ、男根を握る手の動きが甘美なものに変化してゆく。まもなく首都高四号新宿線との分岐路が近づいてくる。

 

 

首都高速道路。

 その名のとおり、首都を中心に放射状に走るこの高速道路は、まさに都会の動脈として絶え間なく車が走りつづけている。

ぐるりと皇居と東京湾を取り囲むようにして都心環状一号線が走る。一周約十五km、首都東京の動脈といえる高速道路だ。そこから目黒方面へ向かう二号線、渋谷方面へ向かう三号線、新宿方面へ向かう四号線、池袋方面へ向かう五号線………と、分岐路によって支線が別れていく。

 首都高は東京の動脈といっても、昼間の渋滞はあまりにもひどく、明らかに硬化した動脈なのだが、夜だけはそれでも元気に流れてはいる。

 環状線から四号新宿線への分岐路近く。Kの乗ったタクシーと「ぼく」の乗ったタクシーは高速道路の地下トンネルを潜って走っていた。緊張感が高まる。いきなり分岐路に入られたら、Kを逃がすことになるからだ。しかし、四号線に入ることなくKの車は環状線を直進していった。ずっと地下トンネルが続いている。霞が関ランプ出口の表示が見えるが、Kの車に降りる気配はなかった。

ようやく地上へ出る。一気に首都高は高架に押し上げられ、急に高度が上がる。まるでジェットコースターのようだ。その高揚感に「ぼく」は胸を躍らせ、手の中で屹立した男根も脈打った。

ビル街のド真ん中に出る。この場所は首都高でも特にダイナミックな立体交差の変化を見せる地点だった。下は六本木通りだ。もうすぐ谷町の三号線分岐点だった。左手に六本木アークヒルズの巨大な姿が見えてくる。

首都高に乗って見るビル群はパノラマのようにステキだ。まるで怪獣映画に出てくるミニチュア・セットのように見える。模型の街、東京を高速で走り抜けていくのは不思議な快感だ。首都高から見る風景はどこかSF映画のようでもあった。

Kのタクシーは本線から谷町インターの分岐路を右側に、首都高三号渋谷線に入っていった。「ぼく」を乗せたタクシーもそのまま流れに乗って、三号線を追っていく。

六本木を眼下に抜けた。華やかなネオンの光がかいま見える。六本木はまだ眠りにつかないようだ。地上にはまだ人がいっぱいいるんだろうな。人の歩く様子が幻影となって頭に浮かび、そして消えた。

 三号渋谷線はずっと直線が続く。走りやすく追いやすい。しかも、夜間の三号線は昼間の渋滞がウソのように車が流れていた。眼下に西麻布も抜けていく。高樹町ランプを通り越して、青山トンネルをくぐった。渋谷に差しかかる。右手にはとっくに営業を終えた東急デパートが駅前のビル群に並んで一際目立っていた。

渋谷駅前を抜けると、渋谷ランプ降り口が左手に迫ってくるが、Kの乗ったタクシーに降りる気配はない。車線を慎重に見極めて追っていく。この三号線はそのまま行けば東名高速道路につながっている。

Kはまだ降りないのか。どこまで行くつもりだ。 「ぼく」は緊張した。今はピタリと後ろについている。しかし、高速道路を降りてからが真の勝負だった。一般道で追いきれるかどうか……。信号機の存在はあなどれないからだ。

Kを乗せた車は右のウインカーを点灯させ、加速して車線変更した。次は三軒茶屋の降り口だ。ウインカーをそのまま右につけっ放しにしている。間違いない、ヤツはここで降りる。

 そして、Kの車は本線をはずれ出口に向かった。

 

Kのタクシーは三軒茶屋ランプを滑るように降りた。そのまま下を走っている国道246号線(玉川通り)を直進する。

続けて「ぼく」の乗るタクシーも追っていくが、高速降り口のすぐ先にある茶沢通りと世田谷通りの分岐点で引っ掛かった。強引に車線変更しようとするタクシーに邪魔されたのだ。その間にKの車は先に行く。

クラクションが激しく鳴りあった。まずい、ここまで来てヤツを見失うわけにはいかない。何とか切り抜けて、運転手はスピードを上げて追っていく。

 ちょっと引っかかっただけなのに、という悔しい思いが胸につかえた。前方をにらみ付けているが、Kの車は見当たらない。左手に質屋の看板があった。そのうちに左に三軒茶屋病院、道路の向かい側には世田谷郵便局が見えてくる。外を呆然と眺めながらも「ぼく」の気持ちは落ちつかない。

世田谷区上馬。目の前は環状七号線との上馬交差点だった。信号待ちの車はほとんどが深夜タクシーだ。Kのタクシーはどれだ。「ぼく」はあわてて眼をこらして探した。

いた! Kの乗ったタクシーは左折車線に停止している。環七を南に目黒大田方面へ曲がるつもりらしい。

「運転手さん! 左です左左左ッ! アレです、アレアレアレ!」

「ぼく」はKの車を指さして叫んだ。運転手は強引にタクシーを左へ寄せて、左折車線に入った。四台前にKのタクシーがいた。Kらしい後ろ姿がリア・ウインドゥ越しにわずかに見える。

すぐに信号機が青に変わり、Kの車が交差点を左折していく。「ぼく」は幸運に感謝した。信号が赤でなければ見失ったかもしれない。イライラしながら左折の順番を待つ。ところが二台前の車が横断歩道へ差しかかったところへ歩行者の群れがやって来た。

「早く渡ってくれよ、早く」

「ぼく」は心の中で思った。こうしている間にもKの車は先へ進んでいるのだ。ゼブラ模様の横断歩道の前で、歩行者が渡るのを待つ。

角をチラリと見ると、外車屋だった。ベンツが止まっている。店の名前は幸運モータースだった。この月夜の晩、「ぼく」にとって幸運がもたらされるのだろうか……。

 すぐ前の車の運転者は慎重運転で、なかなか進んでいかない。

「早く、早く」

心の中で叫ぶ。かなりの時間をロスしていた。Kはどこまで走っていっただろう。ようやく最後の歩行者が足早に通り過ぎ、信号機が赤に変わった。

運転手はアクセルを開き気味にしてクラッチを滑らせながらつなぐ。車は蹴飛ばされたように急発進した。ホイールが軽くスピンして一気に飛び出す。タイヤが鳴った。

環七の進行方向を見つめたが、すでにKの乗ったタクシーの姿は見えない。かなり先に行っているはずだった。ここで逃げられてたまるか。

「ああ、姉さんを家出させた男が行っちゃうよ。姉さん、姉さん!」

「ぼく」の出まかせを信じた運転手は、ギュンと加速してスピードを上げた。見えないKの車を追って、環状七号線内回りを目黒大田方面に向かう。

 深夜とはいえ、環七の交通量は決して少なくない。「ぼく」の乗るタクシーは追越しにつぐ追越しを重ねて猛スピードで突っ走った。

 世田谷区野沢に差しかかる。もうすぐ駒沢通りだ。その交差点は陸橋になっている。

Kのタクシーは環七を真っ直ぐ行ったのだろうか。それとも駒沢通りを曲がってしまったのだろうか。

「お客さん、まっすぐ行っていいですか、それとも……どうしますか……? 」

運転手がすまなさそうに聞いた。追跡しきれないことを気に病んでいる様子だ。駒沢陸橋がみるみる近づいてくる。決断を迫られていた。

「う、運転手さん、真っ直ぐ! いいえ、やっぱり……。いや待った。はい……真っ直ぐ、真っ直ぐでいいです!」

何の確信もない。どっちへ行ったかわかるものか。こうなりゃイチかバチかだ。運を天にまかせるしかない。「ぼく」は窓の外の月を見上げて祈った。

迷っていた車は、意を決して急加速した。

 

駒沢陸橋の立体交差を直進して「ぼく」を乗せたタクシーは坂を駆け上がっていく。

まさに、その坂の頂点に達した時、遠くにシェル・ガソリンの黄色い貝殻マークがチラリと見えた。そのガソリン・スタンドの手前をKの乗ったタクシーが走っている。

「いたッ!」

 かなり先だが間違いない。とぎすまされた直観が「ぼく」に教えてくれる。

 あれだ! Kだ!

 よかった。よかったんだ。やっぱりよかったんだ。「ぼく」は幸運に感謝して月を見上げた。ありがとう。

タクシーは立体交差から連なる下り坂を一気に下っていく。排気音が自信ありげに吠える。躍動感とスピードの持つ暴力に「ぼく」は興奮し、さっきから萎えかけていた男根を強く握りしめた。

世田谷区から目黒区内に入ったことを示す区分表示プレートが見えた。シェルのガソリン・スタンドの先は目黒通りへ入る柿の木坂陸橋になっている。駒沢通りと目黒通りはかなり接近しているのだ。

 Kの車は陸橋の立体交差を左車線に消えていった。「ぼく」を乗せたタクシーはKを追って、柿の木坂陸橋の下を猛スピードで走っていく。Kのタクシーが目黒通りを右折していくのが遠くに見えた。

 そして、交差点の信号機が青から、右折のみを許可する「緑色の右矢印」表示に変わった。この表示は時間的に長くない。すぐに赤のみに変わってしまうはずだ。間に合うかどうか。

「運転手さぁん、目黒通りを右折して下さあぁぁぁい!」

運転手は信号に間に合わせるためにフル・スロットルで交差点に突っ込んでいった。その瞬間、信号機は赤色に変わる。絶対に無理だ。

 めまいがした。

運転手は交差点の目の前で、反射的に右足でブレーキを思い切り強く踏んでスピードを殺した。そして左足でクラッチを切ってギアをニュートラルに戻す。右足のつま先はブレーキを踏んだまま、かかとで思い切りアクセルを踏んでエンジンを空吹かしし、エンジンの回転数を合わせて、すかさずギアを落とす。

タコメーターが六五〇〇回転を刻んだ。エンジンは悲鳴を上げて、強烈なシフトダウンで急減速する。タイヤと路面の摩擦があげるものすごい轟音とともに、恐ろしいGがかかった。「ぼく」の体は一瞬宙に浮き、前のめりになる。

運転手は鋭くハンドルを切りながらクラッチを切って、そのままサイドブレーキを強く引く。後輪がロックして横に滑った。タイヤが轟音と白煙を上げてスピン・ターンする。

遠心力で車体は大きく外側に傾き、内輪が浮き上がる。外側前輪に車体の重さの大半がかかる。道路に対して車体が真横にスピンしたところでクラッチをつないで、アクセルペダルを暴力的に踏みながら右折していく。

一つでもバランスとタイミングを誤っていればクラッシュし、大事故になっていただろう。まるで曲芸のような運転に、目黒通りから直進しようとした車は仰天してクラクションを鳴らした。

 「この運転手はかなりやるな」と「ぼく」は強烈なGをくらって、シートの上にバランスを崩して倒れながら思った。なまじの運転技術では絶対に曲がれない状況だった。

今度こそピタリと食いついてやる。そんな運転手の覚悟が目に見えた。そして、彼はギアを引っ張って加速しながら小気味よくシフト・アップしていく。加速感の快感に身を委ねたまま、坂道のスロープを下り、一気に東急東横線の高架をくぐる。

Kの乗ったタクシーが見えた!

その時、前方の信号機が黄色に変わった。Kのタクシーは先に行ってしまっている。

まずい。ここで止まったら、今度こそ追いきれなくなるかもしれない。

 

 

 

>>>NEXT      >>>BACK