宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 三 回  

 

 

chase7 : K の 家

 

 

 

 

「姉さん、姉さん!」

「ぼく」は呪文のように唱える。

 ギュンッ。出まかせに反応して運転手が急加速した。信号が赤色に変わった直後に交差点を突っ切った。文句なく信号無視だ。

 ようやく追いつく。若い運転手はKの車を完全にとらえ、決して離さない。その上で気づかれないように慎重に尾行していく。

 気づかれた様子はないが、まさかKが乗った前のタクシーもこのタクシーが「100%の凶悪な悪意」を乗せて追ってきたとは思わないであろう。

 KのタクシーはそのままM通りを真っ直ぐ走っていた。J通りを越えたしばらく先に、再び、目黒区から世田谷区へ入ったことを示すプレートが見えた。この辺りは区分が入り組んでいるのだ。

 近い。近いぞ。

「ぼく」は追跡完了の予感を胸に踊らせた。環七を越えて数キロは走っている。このまま環八通りまで行くとは思えない。それなら首都高でも環八が近い用賀ランプまで行って降りたはずだ。

自問自答すると、「ぼく」は緊張と興奮のあまり唾液を飲み込んだ。すぐに車外へ飛び出せるように、脈打つ男根を無理矢理押し込めてズボンのファスナーを上げた。

 

M通りの左手にはS短期大学の建物と高層マンションの群れが続いている。月明かりに照らされて二台のタクシーは走る。

目の前にK通りへ入っていく交差点の信号機が見えた。三又になった道路の間に出光のガソリン・スタンドがある。M通りを真っすぐ行っても、斜めにK通りを行っても、環八まで大した距離はない。

信号機の直前で、Kの乗るタクシーはいきなり左にウインカーをだした。思わず、ひやっとする。左にも一方通行があったのか。酒屋の先の細い一方通行路をKの車が左折する瞬間、信号機は黄色に変わった。あわてて運転手に言う。

「前の車に続いて左へお願いします!」

運転手は要領よくシフトダウンすると、エンジンブレーキを使って左折していく。

曲がった細い道路には、この二台しか走っていない。気づかれるんじゃないかとヒヤヒヤする。五〇メートルほど行った最初の路地でまた車は右折した。今度は「ぼく」の乗る運転手も注意深く、追っていく。

すると、さらに一〇〇メートルほど走ると、前の車はハザードランプを出して停止した。

 

ここかッ!

 

あわててはいけない。こんな細い道路で続けて真後ろに停止したら、Kは完全に「ぼく」の尾行に気づくだろう。ヤツに感づかせてはいけない。

「運転手さん、止まらないで! 前の車をゆっくり追い抜いちゃってくださいッ!」

しばらく追い越してから、「ぼく」はタクシーを一時停車させた。料金を払っている時間が惜しい。「すぐに戻ります」と叫んでタクシーを降りると、「ぼく」は今来た道をあわてて小走りに戻った。もちろん撮影用のビデオカメラも忘れてはいない。録画ボタンはずっと入れたままだ。

Kはまだ、タクシーから降りたばかりだった。気配を悟られないように、「ぼく」はしゃがみこんでKを見つめる。Kはマヌケにも尾行に気づいた様子はない。何の素振りも見せないで細い道路を渡った。

 目の前に白い大きなマンションがあった。

 細い道路からKは、レンガ色の長い階段を二階にあるらしい入口へ上がり、その建物の中にKは消えていった。

ついに見つけたぞ。

 今日は満月だ。夜空には冷たい月が輝いている。月明かりの路上で「ぼく」は残酷な薄笑いを浮かべた。酷白な表情になっていることが自覚できた。

急いで、マンション全室の窓ガラスを確認する。この細い道路からすべての部屋が見渡せるようだった。そして、Kが玄関から上がってちょうど二分ほど経ったころに六階の左すみの部屋に明かりが灯った。

 あそこだ。間違いない。

 月に照らされた「ぼく」の影が道路にのびている。影がそのままKの部屋にまで届くかのような幻覚に襲われる。

 かなり高級そうな大きいマンションだな……。オートロックかもしれない……。

 もっとも、不審者を拒絶しようと意図するオートロック錠も万全ではない。テン・キーについた汚れとすり減り具合からキーの組み合わせを確かめるのは、じつはそれほど大変なことではないからだ。暗証番号はほぼ四桁だ。つまり、四つのキーさえ特定できれば、確率計算式としては4×3×2×1になり、答えは二十四。そう、最低でも確率上、二十四回目には必ず開く。あとは「慣れ」の問題だ。

 「ぼく」はマンションの玄関に忍び寄る。およそ二分ほどかけてオートロック錠を解除して、ガラス・ドアの中に入ってみた。急ぎ足でエレベーターを見に行くと、果たして六階に停まったままだ。そして、戻り際に郵便受けを確認すると、603号室にKの名前が、ひらがなで出ていた。

 

成功だ!

 こうしてKの自宅現住所は判明した。「ぼく」はマンションの外に出て住所表示をビデオカメラでメモ替わりに撮影しておく。さらに、カメラのズームレンズを最大倍率にしてKの部屋の窓ガラスを見るが、さすがに室内はカーテン越しに何も見えない。

夜空の満月に雲がかかった。あたりはいい知れない暗さに満たされる。狂気が「ぼく」を支配する夜。闇の世界で、歓喜に吠え狂いたい気分だった。この夜の怪しげな暗さはまさしく「ぼく」の心の暗部を示すように感じられた。月が運命を青く照らす。

 何かの予感がある………。

 「ぼく」はKの住む603号室の灯を見つめて、冷たく笑った。五感がさえわたるように感じる。Kは暗い運命が待ち受けているとも知らずに、今ごろあの部屋の中でくつろいでいるのだろう……。

待ってろK、お楽しみはこれからだ!

その時、月を覆っていた厚い雲がゆっくり風にはらわれ、視界が急に明るくなった。ふと気づくとズボンが濡れていた。「ぼく」は射精していることに気づく。

 そうだ。タクシーを待たせていたな。

 「ぼく」は心の中でKに「おやすみなさい」とつぶやいて投げキッスを送ると、ゆっくりと車に戻った。

 「お客さん、もう、いいんですか……」

ラリー・レーサーさながらのドライビング・テクニックを見せてくれた運転手が不機嫌そうな声で言った。この夜、彼は信号無視を四回犯していた。

 「あの、いいんですか。さっきの男は」

 「ええ。すいませんでした運転手さん。もういいですから、このまま環七に戻ってください。それからですね杉並方面へ……」

どこか納得がいかない様子の運転手を無言でなだめて、タクシーは「ぼく」のアパートへ向かう。もう夜中になっていた。

 どうして深夜はこう道路工事が多いんだろう。そう思いながらも今日は頭にこない。頭の中はKのことでいっぱいだった。

気がつくとタクシーがアパートの近くに差しかかっている。早稲田通りだった。もうすぐ目的地だ。そこで気になったのか、ためらいがちに運転手が言う。

「お客さん。あの、お姉さんを家出させた男って……」

「ぼくには姉はいませんよ、運転手さん。あ、そこのガソリンスタンドのところでけっこうです」

 タクシーを降りて、「ぼく」はアパートに向かった。運命を感じて歩く。

 月がぶあつい雲に覆われて、視界はますます暗くなった。

 

 

 

 (第三話終・第四話へつづく) 

 

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