宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 四 回  

 

 

chase8 : 白 昼 の 死 角

 

 

 

 

 尾行の翌日……。

 Kの自宅を知った「ぼく」はまず新宿へ出た。

 JR新宿駅の一日の平均乗降客数は約一二五万人。これは全国最大の乗降客数だというが、一〇キロメートル以内の基本料金券が一番よく売れ、乗客一人平均の乗車距離も日本一短いという。駅構内をそそくさと行き交う人々の多さが確かにデータを裏付けているように思えた。これも新宿が日本最大のターミナルたるゆえんなのだろう。

「ぼく」は東口改札を抜けると地下道を通って地上に出た。

 ヨドバシカメラと、カメラのさくらやが「まぁるい緑の山手線、安いよ安いよ、安さ爆発ッ!」などと、客寄せのアナウンスをがなりたてている。

そのまま新宿通りを歩く。都内でも有数の繁華街だけあって人通りは多く、車道の渋滞も慢性的なものだ。信号機を渡って、紀伊国屋書店の二階入り口へ上がるエスカレーターに乗る。二階から四階までは館内の階段で上がり、四階フロアにある地図売り場で「ぼく」はミニサイズの「世田谷区住宅地図」を買い求めた。

 近くの喫茶店に入り、昨夜尾行して突き止めてメモしたKの現住所の番地を見る。

 世田谷区×××六丁目×番×号 メゾン等々力。

 このあたりは、いわゆる高級住宅地である。徒歩で一〇分ほどの最寄り駅はT急O線のO駅。またT急T線のJ駅からでも徒歩十五分くらいだ。しかも、マンションはM通りに面しており、車の利用も便利である。

その603号室にKは妻とともに住んでいる。昨晩、メモした住所を住宅地図に照らし合わせてみる。地図上のM通りに沿って視線はさまよう。

 あった。

 あのマンションだ。住宅地図にマンションの名前と「東京T自動車(営)」という名前が、同じ建物に重ね合わせて書かれていた。

Tといえば日本を代表する自動車メーカーだ。(営)という表記は営業所のことだろう。昨日の夜、尾行の末にKの自宅を突き止めた時に、マンションの屋上にT自動車の大きな看板が立っているのは気づいていた。その一階はTの営業所兼ショールームだったのだ。

マンションの住民用入口は裏の細い一方通行道路の側にあったが、T自動車のショールームはM通りに面しているために、すぐには気づかなかった。つまり、ショールームの裏側がマンションの表側になり、マンションの裏側がショールームの表側になっているわけだ。

 「ぼく」は今から実際にそこへ行ってみることにした。

 今からすぐに、だ。

 昨晩はタクシーを待たせていたから、ゆっくり観察することはできなかった。昼間だからこそわかることもあるだろう。また、夜間と昼間ではビデオカメラで撮影する画像の鮮明さもまったく異なる。

新宿から山手線で渋谷へ出て、「ぼく」はT急T線に乗り換えた。そのままJ駅まで行く。

最寄り駅はJ駅を通っているO線O駅だ。しかし、乗換が面倒だったのでJ駅で降りてしまうことにした。『バス・ルートマップ』(東京バス協会発行)で、乗合バスが出ていることがわかったからだ。目的の停留所は三つめだった。そこからKの住むマンションまでは目と鼻の先だ。

J駅の 改札を抜けて駅前のバス・ロータリーに出る。女子高生や女子大生に人気の街だけあって、ずいぶんにぎわっていた。小さなブティックや雑貨屋、飲食店とともに、一時期はブランド・ブームを仕掛け、若者向けにクレジット・ビジネスを展開するファッションビルの角井もこの街にはある。

 バス・ロータリーの向かい側に小さな本屋があった。そこで週刊誌を買ってバスに乗り込む。さほど待つこともなく、バスはすぐに発車した。

神経が敏感になる。ここはKの地元だ。ひょっとしたら、Kにバッタリ出くわすんじゃないか、という気がした。それならそれも面白い。

三つめの停留所に着くまでの乗車時間は一〇分ほどだっただろうか。M通りのバス停を降りてあたりを見回す。いよいよだ。「ぼく」は用意してきたビデオカメラをバッグから取り出した。

マンションそのものが目印だとも言える。一階はM通り沿いのT自動車ショールームだからだ。また、近くにはS短大があった。バス停の向かい側を見れば、Kストアーがある。K夫婦はここで買い物をしているのだろうか。Kストアーは青山に本店がある高級スーパーマーケットである。品物は高級だが、その値段はおおむね割高だ。立地に加えて、輸入食材などの品揃えのせいか外国人の利用率も高い。

少し歩くとT自動車の看板が見えた。もう目と鼻の先だ。ゾクゾクする。本当にバッタリKに会えそうな期待に胸がふくらむ。

ここだ!

T自動車のショールームの中に、受付嬢や案内の営業マン、お客さんたちがガラス越しに見えた。 また上の階を見上げると、部屋のドアがフロアごとに並んでいた。このM通り側がマンションの外廊下になっているのだろう。

ビルを一つ置いてすぐに路地を左に曲がる。ちょうど、この建物をぐるりと回り込む感じだった。昨日の夜、タクシーが通った道に出る。ショールームからは裏側だが、マンションの入り口に通ずる細い一方通行道路だ。

昼間見てもやはり白い大きな建物だった。

マンション右端には二階の玄関口に上がるためのレンガ作りの階段がある。昨晩、オートロック錠を解除して確認した住民用の郵便受けはこの玄関口にある。

一階がショールームになっているために、二階の玄関口は通常のマンションの三階か四階くらいの高さがあった。威圧するようなその高さがマンションの高級感を高めている。建物は七階建てだが、さらに高層の建築を感じさせた。白色の建物とレンガ色の階段の取り合わせも、いかにも高級マンションらしい。

 ただし、よく見れば建物は築十年ほどは経っているようだし、各室のベランダなどから住人の生活レベルを観察すれば、よく見栄が張られている、という印象だ。

この路地側が全室ベランダになっている。「ぼく」の目は六階にあるKの部屋に吸い寄せられた。Kのベランダを見ると洗濯物とふとんが干してある。窓は三分の一ほど開いていた。おそらく部屋の中にはK夫婦がいるのだろう。「ぼく」の感覚はとぎすまされるように鋭くなった。

静かなエンジン音とともに、敷地内から車が出てきた。T自動車の営業車のようだった。マンション右端は玄関へ通ずる階段だが、左端は車の出入口になっていた。

 ショールームの裏側にあたる敷地の中をのぞくと、営業車や乗用車が置かれている。営業所には簡単な整備工場も備えられているのかもしれない。

 また、敷地内には居住者用の駐車場もある。乗用車が一〇台収容できる立体駐車機だ。その中にKの車があるのかもしれない。最高級マンションはほぼこのタイプの駐車機は付けないから、マンションのグレードはそこそこだと知れる。

もう一度 「ぼく」は視線を上に動かした。ビデオカメラでKの部屋の中をのぞく。真っ昼間とはいえ、室内まではよく見えない。だが、高性能高倍率のズームレンズはおぼろげに人影をとらえていた。

やった!

やはり二人いる。K夫婦だ。部屋の奥へいってしまうと、さすがにまったく見えないが、窓際に来ると、男と女、二人いることが確認できた。「ぼく」の心臓は高鳴った。手に汗の感触を感じ、緊張していた。

 落ちつけっ。

今、「ぼく」は路地からビデオカメラのファインダー越しに、高級マンションの603号室をじっとのぞき込んでいる。 あまりにもその行為は怪しかった。通行人が来ない事を願う。今後、「ぼく」はKを追いつめようとしているのだ。今は不審人物としてマークされることは避けなければならない。

しかし、それでも「ぼく」の神経はKの部屋から離れなかった。ははあ、603号室のベランダに面した部屋とその左側に見える窓の部屋は異なるようだな。左右の室内の照明を見れば、おそらく左側の部屋が個室らしい。「ぼく」はビデオカメラを横に動かしながらも正確な観察を怠らない。

窓越しに男の姿が奇妙な動きをした。

……?

次の瞬間、男はガラス戸を開けてベランダに姿を現した。Kだった。

!!!

「ぼく」は息を飲んだ。ファインダーの中にハッキリとKの顔が見える! 心拍数は増加し、血圧がはね上がる思いだった。アドレナリン値は確実に上がっていたに違いない。

「ぼく」に気づいたのか?

しかし、まさか監視・撮影されているとは思いもよらなかったらしい。不審な素振りはまったく示していない。

 Kは何気ない様子でベランダに出ると、洗濯物のジーパンを取り込み、窓の内側に投げ込んだ。そして干してあった布団をパンパンと叩き始めた。のんきなものだ。

パンパンパン。

マンションの六階と地上を隔てて、「ぼく」とKは対峙している。大声で声をかければ確実に相手に聞こえる距離だった。声をかけたい衝動にかられる。

 パンパンパーン。

何かのはずみにKはふと下を見るんじゃないか。気づくんじゃないか。そう思うと「ぼく」はさらに硬直した。しかし、彼は窓の下の地上に「観察者」がいるのだとは知らないで布団を叩いている。気づく様子はまったくない。

パンパーンパーン!

布団を叩く音が、地上に立つ「ぼく」のところまで聞こえてくる。まるで耳元でだ。

 Kが布団を叩く、その手の動きが映画のコマ送りのように、ハッキリ見える。恐ろしくその時間はスローモーションのように長く感じられた。

かといってその光景の中で、場の空気は氷のように冷たいわけではなく、どちらかといえば、静かで麗かな陽気なのだった。 どこからか植物の匂いが漂ってきた。風薫る、華薫る。 明らかに空気は変質しているのだが、よくある団地の光景でもあった。

Kが布団を叩きおえると、奥からベランダに来た妻が窓を全開にする。Kは両手で布団を抱え上げて部屋の中に放り込むと、ベランダから室内に戻った。窓は再び、わずかのスキマを残して閉められた。それでも「ぼく」は動かないで、路上に立ちすくんだまま、603号室を見続けている………。

いきなり「ぼく」の背後で車のクラクションが鳴らされた。変質していた空間をその音が日常に引き戻す。

ビックリして、しかし平静を装いながら、ゆっくり後ろを見る。運転手が仏頂面をしてこっちを見ている。どうやら通行の邪魔になっていたらしい。あわてて道端に体を寄せて、やり過ごす。

運転手の不審げな顔を無視して「ぼく」は歩きだした。怪しまれたかもしれないが、まあ、いい。 何気ない顔をして「ぼく」は歩き続ける。運転手に顔を見られはしたが、彼の記憶に残ることはまずないだろう。

 あたりを散策した。

 まわりは高級住宅街で、かなりの大邸宅も建っている。停まっている車も外車の率が高いように思えた。立地を考えれば、このあたりは「芦屋のボンボン」が住むのにふさわしい場所なのだろう……。近くにはラーメン屋とか定食屋などはない。買い物もKストアーの他には、五分ほどの距離にコンビニエンス・ストアーが二軒あるだけだった。

 地図を見ながらT急O線のO駅に着く。歩いて一〇分ほどの距離だ。ここまで来ると急にあたりは下町ふうになる。Kストアーとは対照的に、赤札を貼って大安売りをしているスーパーマーケットもある。また、商店街も庶民的な町のそれだった。

 O線でJ駅へ戻ることにする。今日のところはもういい。体がどことなくボーッとしていた。Kとの対峙の影響だろう。あの緊張状態がこの弛緩をもたらしているのかもしれない。

帰りはJ駅前バス・ロータリー近くの地下食堂で、釜飯を一気に食べ、食後にあんみつも取る。満腹感が心地よい。「ぼく」は代金を払って帰路についた。

 ああ、これからの毎日が楽しみだ。

 

 

 

 

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