宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 四 回  

 

 

chase9 : 法 務 局 世 田 谷 出 張 所

 

 

 

 

 さあ、恐怖の演出を始めよう……。

 今まで『週刊P』編集部へ送りつけていたKあての「黒い報告書」は、これからは自宅へ送ることにする。Kにはさらに悪い夢をみてもらうことになるだろう。

 これまでの調査過程をまとめると、「ぼく」は封筒の宛先にKの名と住所をサインペンで書き込んだ。差出人の名はずっとTぼくUで通している。思わず、唇の端から笑みが浮かぶ。差出人住所は万が一返信されてくることを考えて、真実のものを記している。

 そして郵便ポストに封筒を投げ込んだ。何日後かには郵便配達人によって、Kの自宅に手紙が届けられるはずだ。

まさか深夜、Kは自分が尾行されていたとは思うまい。さらに白昼、目に見える距離で「ぼく」と対峙していたとはゆめゆめ思うまい。「報告書」にはそのすべてが記述されている。手紙によって、そのことを知るかと思うと笑いが止まらない。

 「ぼく」は楽しみに心を踊らせながら、部屋に戻る。

 

 

Kに予告電話をかけたのは、その夜のことだった。うまくすれば、Kも何らかのボロを出すかもしれない――それはつまり手がかりというべきものだ――。

運命のベルは鳴り、三回半のコールで回線はつながった。

 「もしもし」

 「……Kさんのお宅ですね。……こんばんは」

 「ハイ、Kですが。どちら様ですか……?」

 「…………。」一瞬、どう応えようか、ためらった。

 「……誰だ、お前?」

 「“ぼく”……、です……アナタのことを調べてる男です。報告書の“ぼく”ですよ、“ぼく”。フフフフフ」

 「ちょ、ちょっと待ってくれ。あんた、誰だ。編集部に届いてた手紙はあんた、いや、お前が出してたのか……。おい、答えろよ。オレを調べてるのはお前なんだな。あの報告書って何だ。いったい、お前は誰なんだ。どういうつもりなんだッ!」

 Kは早口にまくしたてた。

 「いやあ、“ぼく”はアナタの熱烈なファンなだけです」

 「何だと。いいか、答えろ! お前は誰だ?」

 「“ぼく”ですよ。“ぼく”。フフフ。こうして電話回線を通じてアナタとぼくが話しているのも不思議な気になりますね」

 「ふざけるな。お前はタダの一般人なんだろ。雑誌かテレビでも見てイタズラしてるんだろ。……あのなあ、こっちはパンピーとは違うんだよ。いちいち、お前らを相手にしてるヒマはないの。……だから、いったい何の用かって聞いてるんだよ!」

 「アナタのことを少々調べてみたくなりましてね」

 「おーおー、調べりゃいいじゃねえか。調べてもいいよ。でも、お前正気で言ってんのか。オレはマスコミの人間だよ。オレのバックを考えてみろ。権力って知ってるか、権力だよ」

 「……マスコミの人間がそんなにエライのか」

 つぶやくように、「ぼく」は受話器ごしに言った。

 「一種の権力だよ、権力。お前一人つぶすのなんかワケないんだよ」

 「どうぞ。権力には興味はないんでね……」

 「バ、バカヤロー、お前はオレと対等に口を聞けるような人間じゃねえんだよッ。オレを誰だと思ってるんだ!」

 「それですよ、それ! アナタが誰なのか、ぜひ教えてもらいたいと思いましてね。いや、別に教えてくれなくてもいいんです。自分で知る方法は、フフ、あるから」

 「ふざけるな。お前、消すぞ。それでもお前はやる気かッ」

 「……数日後には、アナタの自宅にぼくの手紙が届くはずです。いやあ、Kさん、いい所にお住まいのようじゃないですか。フフフフフ。どうです、六階の見晴らしは」

 「そ、そんなことはどうだっていいッ! きさまはどういうつもりなんだ」

 「昨日は天気がよかったですね。お宅では、布団を干すのは亭主の仕事なんですか」

 「な、何だって……。何考えてるんだ。お、お前は何が目的なんだ。オレのことを調べて、いったいどうする気なんだ!」

 「目的……? それは今は言えない。アナタも聞かないほうがきっといいですよ。K・さ・ん」

 「おいっ、お前ッ、おいッ!」

 「それじゃ、おやすみなさい。K・さん」

 

 

 Kから「お前の目的は何だ」と聞かれたことが、「ぼく」の中で違和感を呼んでいた。「ぼく」の目的はいったい何なんだろう……。

 いや、それよりも、もっともっと気になることがある。

 まず、Kの住む603号室という不動産がK自身の持ち家なのか、そうでないのか。部屋がいったい誰の所有物なのかが気になったのである。あのマンションは賃貸なのか、それとも分譲マンションなのか。

 翌朝、さっそく「ぼく」は東京法務局世田谷出張所に行くことにした。Kの住むマンションの登記簿謄本のコピーを手に入れるためだ。

 登記簿を見れば、その土地や建造建築物の所有者名義はもちろんのこと、それがいつ建築されいつ改築されたかなどが一目瞭然にわかる。当然、物件の所有権の流れも追うことができる。また、それだけでなく、抵当権の設定などの権利事項を確認すれば、金銭貸借の有無もわかる。

言ってみれば土地や建築物の登記簿は、人間でいえば戸籍のようなものだ。ただ、戸籍と違うのは、誰にでもコピーを合法的に手に入れることができる点だ。

地図で東京法務局世田谷出張所の場所を確認する。世田谷区若林四丁目。区役所や税務署も近い。となりは若林公園だ。東急世田谷線の松陰神社前駅が最寄り駅だが、世田谷区役所周辺自体、陸の孤島というか、不便といえば不便な場所である。

まず渋谷に出た。そして東急新玉川線で二駅めの三軒茶屋駅から「ぼく」はマイナー支線の世田谷線に乗り換えた。

東急世田谷線は三軒茶屋から京王新宿線の下高井戸までを結んでいる二、三両編成のチンチン電車だ。その約五キロを二十分ほどかけてゆっくり走っている。

 しばらくゆられて乗っていると、まるで自分が老人になったようで、なかなか気分がいい。窓から外を走っている車や歩いている人を見ていると、まるで生きている時間の流れる速度が変わっているような不思議な気分になる。同じ理由で「ぼく」はバスに乗るのも好きだった。

この日、天気の良かったのが「ぼく」の足を軽やかにした。世田谷線の松陰神社前駅から、地図を見ながら五分ほど歩いて出張所へ着く。

東京法務局世田谷出張所は不動産業者、司法書士たち――こんな所に昼間から来ているのはそうした職業の人たちだろう――で混み合っていた。「ぼく」はぼんやりと順番を待っていたが、順番さえ来れば登記簿謄本の写しを取る手続きは簡単なものだ。

帰りのチンチン電車の中で、揺られながら手に入れたばかりの登記簿のコピーを見る。

 地上七階地下二階建ての、あのマンションは昭和五四年に建設、昭和六一年に改築されていた。地下二階まであったのは登記簿を取るまでは気づかなかったが、住宅用とは思えないから、おそらく一階にある自動車のショールームか営業所の関連フロア(たとえば工場)になっているのだろう。

さて、登記簿によれば、問題の603号室はKが購入し所有する持ち物ではない。いやどの部屋も分譲ではなく個人の所有物ではなかった。何と全フロア全室、マンション全体が一階にある自動車メーカーTの所有物だったのである。

つまり、T自動車がショールームの上階すべてを住宅用に賃貸しているのだろう。あるいは、そうでなければT自動車社員用の社宅という可能性も考えられる。

ここで「ぼく」は考えた。

Kは「芦屋のボンボンで資産家の生まれ」と語っている。ならば、Kの父はもしかしたら、日本最大の自動車会社、T自動車の関係者なのではないか。

久しぶりの成果だった。自分の仮説というか思いつきに興奮している。あのマンションの白い外観が頭に浮かんで離れない。「ぼく」は考えをまとめるため、帰りに渋谷の喫茶店に入って、アイスコーヒーを注文した。

Kの父がT自動車の関係者で、もしも、あのマンションが父親の資産だったとしたら……。面白い!

青少年の自立を声高に叫ぶ男・Kこそが自立していない事になりはしないか。他人に大して、ああだこうだと説教を繰り返しておきながら、自分のことは棚に上げて、親のスネをかじっていることになりはしないか。面白い仮説だった。

そう考えれば、芦屋の資産家探しの失敗も納得できるような気もした。特に気がかりだったのは、過去100年間の高額納税者調査にもK家が浮上しなかったことだったが、K家がかつて芦屋にあったとしても、税金はT自動車本社のある愛知県T市から納めていた可能性を考えたからだ。もちろん、「ぼく」には税務上の操作はわからないが、ありえないことではない。あるいは昔、存在した芦屋の家はもしかしたら別荘だったのかもしれない。

 チンチン電車の世田谷線を三軒茶屋で乗り換えて、渋谷に着く。その間、ずっと「ぼく」はKの自宅について考えていた。

 待てよ、あのマンションが単なる賃貸マンションではなく、T自動車の社宅だという可能性はどうだ。もちろん、K自身はT自動車とは関係のない人間だが、特例として住む権利を与えられているのだとしたら……。

でも、各室の住人全員に、T社の社員かどうかを聞いて回るわけにもいかないしな……。アッそうだ、簡単だ。マンションの管理がどうなっているかだ。マンション自体がT自動車のものなのだから、一階のショールームに問い合わせれば、管理について何かがわかるかもしれないぞ!

しかし、時間が時間だった。すでに夜七時になっていた。問い合わせるにはやや遅い時間だ。こういったことは、人の錯覚や錯誤に乗じてたたみかけるように一気に仕掛ける必要がある。ひとまず帰宅して、もう少し考えることにしよう。

 「ぼく」はバスで帰ることにした。渋谷から「ぼく」の住む阿佐ヶ谷までは、バスの起点から終点までだ。もちろん、電車で帰るほうが時間的には早いに決まっている。ただ、バスに乗っていけば座っていけるし、ゆっくり帰るのはぼんやり考えるのにはちょうどいい。渋滞で混んでいても一時間もあれば着くだろう。

 

バスは道のりの途中だった。甲州街道を東に走ると、代田橋で環七を右折して北に向かう。「ぼく」は環七沿いに建っているマンションをぼんやりと見ていた。

なぜか、この間マンションで目撃したKの残像が脳裏によみがえった。

ふとんを干していたKの姿だ。そうだ、あの生活感あふれる光景。その印象をそのままぶつければいいじゃないか。

「ぼく」は翌日朝早く起きると、104番でマンション一階のT自動車ショールームの電話番号を確認して、電話をかけた。

「偶然、近くを通りかかりましてね。ふとんをたたいている人を見たんです。それで、ショールームの上はオフィスではなく、住宅だってわかったんですよ。実はこの辺に部屋を探していたんで、管理している不動産会社さんを教えてもらえませんか? 空室があればぜひ借りたいと思いまして」

「しばらくお待ちください」と電話に出た女性は言った。待っている時間が長く感じられる。

「もしもし、お待たせしました。申し訳ございませんが、本社の総務部に問い合わせてもらえますか。電話番号は××××の××××です」と女性は答える。

 肩すかしの返事だった。

本社に同じことを聞く。すると、マンションはT自動車系列の不動産会社によって管理されていることがわかった。それも不動産会社は自動車販売会社の本社と所在地が同じで――同じビルの別フロアにあることが後に判明した――、ビル内の内線電話で回せるらしく、保留音の後にそのT不動産につながった。

三度、まったく同じことを「ぼく」は不動産会社の担当者にたずねる。さすがに大会社だ。まるでタライ回しされてる感じが「ぼく」を疲れさせた。

「お客様。残念ですけど、今は空いてる部屋はありませんねえ……」

 不動産会社の社員は答えた。空室があればぜひ借りたい、と聞いたからだ。さらに、とぼけながら、Kの部屋についても聞いてみた。

「ああ、そうですか。じゃあ、参考までにお聞きしたいんですが、六階あたりの角部屋のお家賃はおいくらなんですか?」

 「最上階の七階でなく?」

 「ええ、ワンランク下、ってことで」

 「そうですねえ……あ、これだ。603号室は、管理費込みで家賃は十七万四千円ですね。ええと、間取りは六畳、四畳半、それからリビングルームが六畳。それから、もちろんですがダイニングキッチン、バス、トイレが付いております」

立地やマンションの外見からはもっと高額の家賃を感じさせていたが、条件を考えれば格安の物件に思われた。

 「残念ですね。空室がないのはわかりました。では今度、お部屋に空きが出るようでしたら、ぜひ御連絡ください。……ええ、どのフロアのどの部屋でもかまいません。すぐに入居を検討しますから。そのために、あくまで参考のためですが、さっきの角部屋の間取り図をいただけませんか?」

 「ああ、別にかまいませんよ。じゃあ、これからファックスします」

よっぽど「603号のKさんについて知ってること全部を一切教えてほしい」と言いたかったが、まさかそう聞くわけにもいかない。まあここまで分かれば、もういい。

 「ぼく」は受話器を置いた。

不動産会社の「ぼく」への受け答えから考えて、一般の人間に部屋を貸していることがわかった。つまり、あのマンションはT自動車の社宅ではありえない。

その直後に不動産会社からファックスが届く。Kの部屋の間取り図をコピーして、「ぼく」はKあての報告書に同封した。「黒い報告書」にはこれまでどおり、調査の過程が事細かに書かれている。

 自分の住む部屋の間取りや家賃を知られて、Kはどう思うだろうか。

 いや、それ以上にもしもマンションに空室が出た場合には、この「ぼく」自身が入居して、Kの隣人になることさえもできるのだ。そうしないのは、それほどの狂気を「ぼく」が持ち合わせていないだけのことだ……。

 

 

 (第四話終・第五話へつづく)  

 

 

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