宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 五 回  

 

 

chase11 : 名 簿 図 書 館

 

 

 

 

 翌日、「ぼく」は新橋へ行った。

 新橋は銀座のはずれとも虎の門のはずれともいえそうな場所だ。その雰囲気は「港区の新宿」とでもいうような風情の、大衆的な雑多さに満ちていて、どことなく下町風で庶民的なサラリーマンの町という気安さがある。しかし、駅前に飾られた機関車を見ると、この新橋という場所は日本における鉄道発祥の地なのだということを思い出す。

 「ぼく」はJR山手線の新橋駅から五分ほど歩いて、雑居ビルの中の名簿図書館に着いた。その名こそ「図書館」だが別に公共施設というわけではなく、実際は株式会社であり、一名簿業者に過ぎない。

ここには、約七千冊の名簿がそろっており、学校関連、企業関連など種々の名簿を閲覧、コピーすることができる。各種データベースも完備しており、ダイレクトメールなどの発送業者に重宝されているライブラリーだ。そして、学校関連の資料などはオフィシャルな性格を持つために、たとえ対象がアイドルや芸能人、有名人であっても、秘匿しきれない個人情報を知ることができる可能性が高い。

 難を言えば、ここは業者であるだけに入館料金を取られることだ。そう、確かに「情報」とは高くつくものなのだ。しかし、そうした認識は日本では新しいものであるらしく、情報の価値に驚く人間も、特に中高年以上の世代には珍しくはない。

 「ぼく」はここで、T大学の卒業者名簿を取り出した。そして、Kの名が記載されていることを確認すると、ニヤリと薄笑いを浮かべて名簿のコピーを手に入れた。「ぼく」のあまりにも嬉しそうな表情を見た職員が気味悪そうな顔をして、こっちを見ている。

 「宝物をありがとう!」と、「ぼく」は心の中で神に感謝して外に出た。神といってもそれは悪魔という名前の神かもしれないが。フフフ。

 帰りがけに駅前の喫茶店に入って、「ぼく」はアイスコーヒーを注文し、名簿資料の確認を始める。

昭和五五年度のT大学工学部××××学科の卒業者数は八九名。Kの大学同窓会会員ナンバーは85××4だった。

 「ぼく」がこの名簿を確認したかった理由は、Kの卒業当時の住所と電話番号を知ることにあった。そのデータが過去のものであってもかまわない。そこから、何らかの情報が探りだせるかもしれないからだ。あとは時間を逆行していけばいい。

 「お待たせいたしました」

テーブルの上にアイスコーヒーが置かれたが、「ぼく」はぼんやりとコピーをみつめていて、意に介さなかった。タバコに火をつけて大きく煙を吸い込む。

 卒業名簿によれば、KがT大学を卒業した時点での住所は、大田区東Y谷二‐××‐一‐610号。

名簿には残念ながらマンション名は記載されていないが、610号というのは常識的に考えて、まずマンションに間違いない。卒業名簿に記載ミスというのはほぼない。あとは常識的な判断をすればいいはずだ。

 大田区か。大学時代、Kはここに住んでいたわけだ……。

 土地カンのない「ぼく」は東京区分地図を見る。住宅地図ほど細かくはわからないが、だいたいの場所はこれでわかる。

  ……へえ、かなり田園調布が近かったんだな……。おや、現住所とも近いぞ。わずか二キロほどの距離だ。

 待てよ!

 「ぼく」は自分の記憶を呼び起こしていた。そういえば、以前Kの尾行に失敗した時のことだ。翌日、Kの乗ったタクシー会社に乗車記録を問い合わせたことがあった。電話口に出たタクシー会社の人間によれば、あの時、Kが降りた場所は確かこのあたりだったはずだ……。

「どういうことだろう。偶然だろうか……」

 「ぼく」は独り言のようにつぶやいた。ようやく我に返って、ウエイトレスが運んできたアイスコーヒーにガムシロップ少しとミルク全部を注いで、ストローで中途半端にかき混ぜる。

ふと気づけば、喫茶店に入ったばかりだというのに、灰皿にはすでに吸いがらが数本もたまっている。

 一本、二本、三本………。

 ずっと「ぼく」は一人でブツブツつぶやいていた。二人の若いウエイトレスが「ぼく」を見ていたらしい。気づくと、二人は怪訝な表情でこちらをながめながら、顔を見合わせている。資料に夢中になっていただけの「ぼく」だったが、どうやら客観的には怪しまれているようだった。

 すかさず、地上三メートルほどの地点に視点を飛ばす。こうして自分を客観的な立場で観察するのも、「ぼく」は昔から好きだった。そうして見ると、確かに少し怪しかった自分に気づく。

 そして、フッと我に返ると(視点を戻すと)同時にウェイトレスを観察する。さっきテーブルに来たロングヘアの女の子よりも、もう一人のショートカットの子のほうが可愛い。こんな時でもなぜかそんなことが気になるものだ。

 二人に「ぼく」がニッコリと笑いかけると、それまでジロジロと「ぼく」を見ていたことがマズイと思ったのか、二人とも目をそらして黙ってしまった。

 まあいい。資料に目を落とす。

 「さあて、そしてどうするか、だ」

口が乾いていた。新しい情報を得たことでの緊張もあったのかもしれない。アイスコーヒーを一気にグラスの半分ほども飲み干す。しかし、その間も地図から目が離れない。

610号室……、か。T大学工学部は関東にあるから、兵庫県の芦屋市から上京したKは大学時代には、そのマンションで一人暮らしをしていたのだろうか……。

 喫茶店の会計をすませる。

 そして、念のためにミニタイプの大田区住宅地図を手に入れ、自宅に戻った。ていねいに確認してみると、やはりこの住所には今もまだそのかなり大きなマンションが立っている。地図からマンション名もYヒルズと知れる。その610号室にかつてはKが住んでいたのである。

 「ぼく」はその住宅地図から、Kのニオイをかいだような気がした。もちろん、それは幻臭とでもいうべきものには違いない。しかし、その何かは追跡者に要求される嗅覚能力が感じ取った何か、だ。

 近づいている。もうすぐだ。

 もうすぐKを追いつめてやる……。

 

 

 

 (第五話終・第六話へつづく)   

 

 

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