宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 六 回  

 

 

chase13 : K の 弟

 

 

 

 

その日、「ぼく」は昼頃目覚めた。ふとんから、もぞもぞ起き上がると、すぐにサンダルばきで近くの酒屋で缶入りのアイスコーヒーを買ってきた。それを飲みながら頭を冷やした。

Kメモを見ながら、「ぼく」は頭の中をもう一度整理してみることにする。

T大学卒業名簿から、Kの大学卒業時の住所と電話番号を調べることができた。これは昭和五六年のものだ。そして、過去の電話帳調査によれば、確実に昭和四六年から現在まで、そこにはK姓の別人物が住み続けているのだ。

この電話番号に今すぐ電話をかけてみたい衝動にかられるが、それは絶対にしないほうがいい。資料を広げて、ゆっくり確実に「ぼく」は思考を繰り返した。

 何げなくもう一度、T大学卒業名簿のコピーを目で追う。

あれっ。目にゴミが入ったような気がした。文字が二重に重なってみえた。Kの文字とその住所が、だ。

アッ!

 その時、「ぼく」がそれに気づかなければ謎は謎のまま終わっていたのかもしれない。しかし、「ぼく」の視線はそれを見逃さなかった。

 目の錯覚ではない。息を飲みながらコピーの紙をひっつかんで目の前に近づけて卒業名簿を確かめる。残りかけのアイスコーヒー缶が倒れて、少量のこげ茶色の液体がこぼれた。コピーの白い紙に薄いシミが広がる。しかし、そんなことはまったく気にならなかった。

何と、K自身が大学を卒業した年の二年後にあたる昭和五八年卒業者の中に、同じKという姓を持つ者がいたのだ!

 しかも、その住所もまったく同じ大田区の住所地番だった。「ぼく」が気づかなかったのも無理はない。卒業名簿は年度別に分かれた卒業者の名前から引くものだからだ。

素直に考えて、これは二歳違いの弟に間違いないだろう。Kに弟がいたとは知らなかった。しかも兄と同じT大学を卒業していたとは。

しかも「ぼく」が驚いたのは、その弟の名前が、電話帳で確認したK姓の人物とも名前が異なることだった。つまりK姓の人間が三人現れたことになる。

K・K・K。三人のK。

どういうことだ……。こぼれたアイスコーヒーをティッシュペーパーでふきながら 、「ぼく」は首をひねった。最初に電話帳でK姓の別人を見つけた時には、おそらく弟と二人で東京に住んでいたのかと思っていたが、そうじゃなかった。

すると過去の何年間かはわからないが、少なくともこの三人がいっしょに住んでいたことになるわけだ……。

 頭の中に「ある疑念」がわきだして止まらない。

 

 まさか……。まさか…、ひょっとしたら……。

 

 まさか、このマンションが……。

 

 決して、論理的に混乱したのではなかったが、それまで信じ込まされていたことを根底からひっくり返すような仮説が脳裏に浮かんだことで、頭の中がひどくかき乱されていた。

 まさか……。

 

 その日、帰宅しようとしたのは夜の七時頃だった。

 「ぼく」のアパートは杉並区の住宅街にある。住宅街を足早に自宅へ近づいていく。夜七時という時間帯の住宅街だけに、あたりは、それぞれに家庭的な晩御飯のニオイで充ちている。この時間は一般家庭の主婦にとって最も忙しい時のはずだった。しかし、自宅アパートの前に近所のおばさんたちが集まっている。そして何やら「ぼく」の部屋の方角を見ている。

イヤな予感がした。違和感。そう、強烈な違和感だった。アパートに近づくにつれて、その予感はさらに強まっていく。

 「ぼく」は伏せ目がちに会釈姿勢でおばさんたちの脇を抜けようとした。

 ドキッ。路地に面した部屋の窓ガラスが割れていた。それを見て怪しんだのだろう。おばさんたちが 「ぼく」を見て、そして言った。

 「お宅、何かあったんですか?」

 「あ、いいえ。何でもありません……」

 何もなくはない。「ぼく」はあわてて、鍵を開けようとした。鍵を回してドアを引く。おかしいな。鍵がかかっている。どうやら、最初から開いていたらしい……。中へ入ると、アパートが見事に荒らされている。ドロボーだ。さらにイヤな予感はふくれあがった。身体は硬直し、五感を働かせる。

 まさか、まだ部屋の中に誰かが潜んではいないだろうな……。感覚をすませるが、気配はない。注意深く室内を見渡す。部屋の中の物が散乱していた。

まるで何かを探したようだな……、金目の物ではない。散乱しているのはほとんどが資料だった。資料の紙類がすべてブチまけられているのだ。ただのドロボーじゃないな。

 とりあえず、散らかった紙を「ぼく」は拾い集めた。

 そうか、Kだ……。

 Kに関する資料だけがごっそりと無くなっている。拾った紙類をもう一度点検していくが、間違いない。K資料が一枚残らず消滅していた。もっとも、Kの情報はほとんど頭の中に入っている。

 それにしても……。Kのしわざとしか考えられない。ただK本人ではなく、おそらく誰かにやらせたことだろう。こんな手に出てくるとは……。もちろん怒りはある。しかし、それよりも「ぼく」は一歩づつ真実に近づいている実感を感じていた。

 徹底的にやりやがったな。荒らされた部屋を片づけるのにも、かなりの時間がかかった。割られた窓ガラスにはとりあえず、ガムテープでボール紙を貼っておいた。ようやく一段落して、冷蔵庫を開けると、中にあった缶ジュースを一杯飲む。

 そして「ぼく」は電話の受話器を上げると、すでに暗記してしまっている番号をダイヤルした。もう、そろそろ帰っている頃だろう。

 「はい、Kです」

 二コールほどで、すぐにKの声が受話器から聞こえた。

 「お帰りでしたか。……Kさん、やってくれましたね……」

 「また、お前か。何のことだ」

 「ずいぶんかかりましたが、ようやく部屋を片づけたところです。」

 「オレは知らないよ。いい気味だ。これでわかっただろ。ふんっ、ザマアみやがれッ」

 「ぼくはまだ何も言っていませんよ、Kさん……。まあ、いいでしょう。資料は差し上げます。もう一度集めればいいし、データはぼくの頭の中にありますから」

 「いいかげんにしろッ。お前、まだこれ以上痛い目に会いたいのか。お前の部屋に火をつけることだって、やりゃあできたんだ。本当にただじゃすまないぜ」

 「弟さんはお元気ですか……。弟さんも兄弟仲良くT大学を卒業してたんですねえ」

 「……そ、それがどうした……」

 「どうもしません。ぼくはアナタが生きがいになってるんです。アナタのことを調査することがね。明日はどんなことが調べられるだろうってね。毎日が楽しいなあ。じゃあ、ぼくは今日は寝ます。明日がありますから」

 「ぼく」は受話器を置いた。

  明日からは警戒してかからなければならない。今後、さらにKの攻撃に見舞われる可能性がある。身の危険を「ぼく」は感じていた。

 

 

 (第六話終・第七話へつづく)  

 

 

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