宅 八郎 presents
サ イ コ ホ ラ ー 小 説
『 K の 器 』
第 七 回
chase14 : 東 京 法 務 局 大 森 出 張 所
とうとう「ぼく」はヤツを追いつめた。
そのビルの屋上に向かって、「ぼく」は階段を駆け上がる。このビルにKがいるという情報を手にしたからだった。そして、ヤツは屋上に逃げ込んでいた。エレベーターは定期点検中のプレートがかかり、動いていない。
階段を駆け上っていく。しかし、なかなか上がれない。上がっても上がっても屋上には着かない。なぜだろう。極度の疲労のためだろうか。がんばれ。もう少しだ。まさに、この階段は「ぼく」がKを追ってきた道のりそのものに感じられた。けれど、ようやくヤツに手が届こうとしている。
そして「ぼく」は屋上へ通ずる重い鉄のドアを開けた。
光が射し込んできた。まぶしさに一瞬「ぼく」は眼を覆った。光に眼が慣れてくる。光の向こうに人影が見えた。Kだった。
何かがおかしい、と思った。頭の中で危険信号が鳴り響いている。Kが余裕たっぷりのイヤらしい笑顔を浮かべていることに気づいたからだった。Kの傍らから何人かのボディガードらしき男たちが不気味な表情で姿を現した。
身構えている自分にとまどう。
「このキチガイ野郎。待ってたぜ!」Kが言った。
まさか、この「ぼく」を待っていた……?
とっさに振り向くと、すでに背後に男の一人が回り込んでいる。もう逃げ道はなかった。待ち伏せだった。陥穽にはまってしまったようだ。Kを追いつめることができると思っていた。しかし、「ぼく」は追いつめているつもりで追いつめられてしまったのだ。
「お前、このオレによくもナメたマネしてくれたよな。どうなるか、わかってるか。いいか、これは命令だ。いい加減にオレのことを調べるのをやめろ!」
次第にこっちへ向かって、Kとボディガードたちがにじり寄ってくる。見れば、Kはその手に銃を持っている。本物かどうかはわからないが、ただならぬ雰囲気が漂っていた。
「これが何だかわかるか、タダの空気銃じゃないぞ。特製のエアガンだよ。威力はお前の身体で試させてもらうぜ。それとも、今からでもオレに謝る気はあるのか」
何かの可能性を求めて「ぼく」は屋上を見渡すが、彼ら以外には誰もいない。ただ、一匹、黒と白のブチ模様のネコが視界に入ってきた。野良ネコのようだ。昼寝でもしていたのだろう。
「うりゃあ! うりゃあ!」
いきなり、Kは勝ち誇ったように叫ぶと、ネコに向けて発砲した。最初の一発でネコは飛び上がって逃げようとするが、すかさずKは二発三発と弾を撃ち込む。その威力から判断して通常の空気銃では決してなかった。相当の改造強化を施しているようだ。
「ニャア」
瞬く間に、ネコはその行動能力を奪われてしまった。何発も何発も弾丸を撃ち込まれ、ネコは悲しそうにうめいた。そして、弱々しく死に向かっていく。
「そいつがお前の運命さ。さあ、次はお前の番だ!」
Kはなぶり殺しにするかのような笑いを浮かべると、「ぼく」に空気銃を向けなおした。心臓が高鳴る。
もうダメだ。やられる――――――――――――――――!
Kの銃口がパッと火を吹いた瞬間、「ぼく」の右肩に激痛が走った。
自分の叫んだ絶叫で目覚めた。
どうやら悪い夢を見ていたらしい。大きく呼吸が乱れている。時間をかけて気を落ちつかせる。次第に意識がハッキリしてくるのを感じた。
さっきまで強烈な悪夢を見ていたはずだったが、目覚めとともに、それがどのような夢だったのかは曖昧になっていった。愕然とした印象だけが薄い記憶として残っていたが、しばらくすると、ようやく、あくびが出た。
ふとんから起きると「ぼく」はあわてて身仕度をして、すぐに外へ飛び出した。東京法務局大森出張所へ行くことにしたのだ。狙いは登記簿謄本だ。
自宅から阿佐ヶ谷駅までは歩いて十二、三分の距離だが、ちょうど乗合バスが来たので飛び乗った。ところで、さっきまでどんな悪夢を見ていたのか、すでにハッキリ覚えてはいない。バスの中で、大田区の住宅地図を見て法務局大森出張所の場所を確認する。
大森北四丁目だった。JR東海道本線大森駅が最寄り駅のようだった。中央線で東京駅まで行ってしまえば乗り換えは一回ですむが、大回りになる気がしたので、「ぼく」は新宿と品川で乗り換えて行くことにした。どちらにせよ、JR線だけで行けることには変わりない。
「ぼく」は電車の中で大森へ着くまでの間、Kのことを考えていた。
大田区東Y谷か……。その住所にはK姓の人物が、今もまだ住んでいる……。
登記簿に何が記載されているか、その興味で頭の中はいっぱいだった。どんな事実が飛び出してくるのだろうか。これで謎が解けるのではないか。「ぼく」は獲物を狩りたてるハンターのように、K捜査が核心へ迫っていく興奮を覚えていた。
大森駅から少し歩いて、ようやく法務局大森出張所に着いた。杉並区から大田区までの距離感が待ち遠しかった。ここで「あのマンション」の登記簿の写しを入手することにする。
地面師と呼ばれる詐欺師をテーマにした推理小説をいつか読んだことがある。人間で言えば戸籍にあたる登記簿を改竄する詐欺師のことだ。現実にそうした詐欺がどのくらいあるのか、また、今でもあるのかは知らないが、基本的に登記簿に記載された内容は事実だと思って間違いないだろう。
以前、Kが現在住むマンションの登記簿謄本のコピーを世田谷出張所で入手したが、あの時は土地、建物ともに所有者がT自動車であったことが確認できたことで、事足りた。しかし、今回の部屋に関してはより細かなチェックをするつもりだった。K姓の人物が三人浮上してきたことによって、何らかの期待感がふくらむ。
現在の所有権が個人一人のものなのか、それとも誰か――たとえば多くの場合、家族――との共有名義になっているかどうか、さらに所有権の流れがあれば見てみたい。また、抵当権の設定の有無などの権利事項の流れを見れば、金銭貸借の履歴も明らかになる。競売、差し押さえ、破産など人によっては隠したい「歴史」の記録がそこに残っている場合もある。何かが飛び出してくる可能性はあった。
申請手続きを経て、法務局の係員に呼ばれるのを待つ。そのわずかな時間さえも長く感じられた。それは、ここまでの長い道のりを考えれば、「ぼく」にとっては無理もない感覚だっただろう。そして、係員からひったくるように入手した登記簿のコピーをバッグに入れて、出張所を飛び出した「ぼく」は近くの喫茶店に入った。
「アイスコーヒーひとつ!」
注文を言い放った「ぼく」に向かって、ウエイトレスが少しビックリしたような顔をした。
「ぼく」は手に入れた登記簿を見る。
大田区東Y谷二‐×‐一 Yヒルズ610号。
このマンションは昭和四五年九月に新築されている。その610号室の敷地面積は六六、二六平方メートル。所有者ははたしてK姓の人物だ。電話帳に記載されていた男だった。
マンションが新築された翌月の、昭和四五年一〇月にその男はこの物件を所有している。新築物件が購入される場合によくある登記の形跡だった。そして、マンション購入の際には、大山銀行とT燃料工業という会社から数百万円の借金をし、物件に抵当権が設定されていた形跡があった。また、現在までに所有権の移転は行われていない。
つまり、 昭和四五年から現在まですでに二十年以上の間、この所有者はマンションに住んでいることになる……。
Kも、Kの弟もこの部屋からT大学に通ったのだ……。だとしたら……。
ミステリーじゃあるまいし、登記簿の記載に間違いはないだろう。「ぼく」の疑惑は確信に変わった。
……!
そう、この部屋こそが、まぎれもないKの実家だったのである!
あれだけ捜し求めていたKの実家は、じつは東京にあった!
この所有者のK姓の男は、Kの父にまちがいない!
身体がどことなく熱い。まるで微熱を帯びているようだ。 「ぼく」は明らかな興奮状態にあった。
「ぼく」はついにKの実家、Kの父親を捜し当てたのだ。法務局大田出張所から入手した登記簿のコピーを手にして見つめる。
借金? 抵当だって? これはどういうことだ。Kの父がマンション購入時に数百万円の金を借りた、このT燃料工業という会社は何なんだ?
登記簿にはこの登記を行った時点での住所が記載されている。
同じ大田区の南Y谷×丁目二〇番×号。
昭和四五年の電話帳に記載されていた住所だった。電話帳での記載の変化から移転は予想していたとおりだ。この部屋に入居する以前にK家がその住所に住んでいたことは、これで間違いない。このマンションは東Y谷だから、かなり近い。南と東。隣町みたいなもんだ。この地番を調べてみよう。ところが、住宅地図を取り出して確認してみると、この住所に存在したのはT燃料工業の社宅であった。
同じ会社だ! この会社は何だ?
「ぼく」の血圧はさらに上がった。興奮が止まらない。
社宅だったとはどういうことだ。これはT燃料工業が、Kの父の勤務先だったとしか思えない……。
しかし、これは今の住宅地図だ。現在、この社宅が建っているこの場所にK家がかつて住んでいたことは間違いない。この社宅は二十年以上前からあるのだろうか? わからない。とにかく、このT燃料工業について調べてみたほうがいいな……。
それにしても、「ぼく」はあれほど「芦屋のボンボン」だと自称していたKの実家が、実は東京にあったことに、めまいを感じていた。それに借金をしてマンションを購入していたという事実は……。
そうだ! ここからなら、すぐだ。
Kの実家とおぼしきマンションの様子をこの目で見てみよう。ビデオカメラはつねに持っている。撮影しておくことも可能だ。そう考えると、居ても立ってもいられない。何かに憑かれたように「ぼく」は立ち上がり、大森の喫茶店を出た。震えを感じている。
大森駅前から、「ぼく」はそのままフラフラとタクシーに乗っていた。
「お客さん、どちらまで?」
「東Y谷……二丁目です……。I線I駅の近く……。N街道へ出てください」
自分の声が、どうも、くぐもっているようだった。身体だけでなく声そのものが微熱を帯びている。「どうかしてるな」、そう思った。
車で三十分ほどの距離だった。