宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 八 回  

 

 

chase16 : 神 奈 川 県 立 川 崎 図 書 館  

 

 

 

 

 神奈川県立川崎図書館は科学技術専門の図書館だ。

 一階は一般室と自習室。二階は展示室。そして三階は科学技術資料室、四階は特許資料室である。三階の科学技術資料室はわずか四九〇平方メートルの面積しかないが、数学・化学・生物といった基礎科学から機械工学、コンピュータ、電気工学、電子工学、金属、鉄鋼などあらゆる科学技術の専門書、技術書が多数所蔵されている。

 また科学関係雑誌や技術専門雑誌の論文も多く、三階の一部と四階の特許資料室には、特許公報、実用新案公報、公開特許公報などもそろっている。

 重工業地帯・川崎にある図書館が科学技術専門であるのは、もっともらしい。

天気の良い日曜日の午後だった。空がぬけるように青い。雲はまるで絵に描いたような形をしていた。空の青みと雲の白みのバランスの良さは、ちょうどコマーシャルや映画に出てくる空のようだ。

「ぼく」は川崎に来ていた。JR川崎駅を降りるとバス・ターミナルに歩きだした。図書館までは歩くと十五分ほどかかる。川崎市営バスで行くことにする。

東京近郊の都市へやって来て駅を降りると「ぼく」は不思議な感覚にとらわれる。東京から大した距離ではないのに、まるで遠くの地方都市へきたような感覚だ。みごとな空の青さと雲の白さの絶妙なバランスも、旅行じみた感覚に拍車をかけるようだった。

 買い物帰りらしい地元のおばちゃんや老人たちに混じってバスに乗り、「教育文化会館前」という停留所で降りる。

目の前が川崎図書館だった。「ぼく」は三階の科学技術資料室に上がっていく。

 「ぼく」はなぜ、今日ここまでやって来たか。

 ここには会社史、経済団体史、労働組合史が約8300冊ほど所蔵されているからだった。産業分類は特にないが、やはり技術系企業の社史に関しては特にそろっているような印象だ。

 目的のモノは社史目録でいとも簡単に発見された。「ぼく」はT燃料工業の社史数冊を請求すると、あわてて一階に降りて自習室に陣取った。

 机の上に『T燃十五年史』、『T燃二十五年史』、そして『T燃三十年史』(上下刊)を置く。

 社史には、社宅に関する記述が必ずあるはずだ。「ぼく」はくまなく、ていねいに読み耽る。T燃料工業は一九三九年に創立された、石油化学工業では大手の会社だった。

 会社概要や、創立からいかにして会社が発展成長したか、などがこと細かく書かれている。しかし、社宅に関する記述はなかなか出てこない……。

 

 第七章 第六節 福利厚生 (1)社宅

 

やった、これだ。

 目的の記述は『T燃三十年史』に掲載されていた。その内容は以下のようなものだった。

同社の本社従業員用の社宅、Y谷アパートのうち、第一アパートは昭和三一年七月に二十八戸完成。続いて第二アパートは昭和三三年九月に二十四戸、建設された。高度経済成長の幕開けに乗って、同社が飛躍的な急発展をとげ、従業員の増加に伴って計画施工された社宅であった。

社宅建設当時の写真も掲載されている。

 「そうか、ここに子供のころのKが住んでいたんだな」。

 「ぼく」は思わずつぶやく。Kが少年時代に住んでいた部屋はどのような間取りだったのだろうか。それも社史に記されている。

部屋は六畳二間、四畳半、台所、風呂場、便所という間取り。同社の社宅としては初めて風呂付きになったもの、という。

 始めての風呂付きか……。どことなく懐かしい庶民的な住まいだな、と「ぼく」は思った。日本人すべてがビンボーで、すべての父や母が頑張っていたその頃の日本はどのような時代だったのか……。

 

 

神武以来といわれた、戦後最高の好景気は昭和三〇年頃に始まる。

 そして、翌三一年の『経済白書』の書き出しには有名な名文句「もはや戦後ではない」が使われた。さらに、昭和三二年夏には東京の人口は八五〇万人を突破、世界一の過密都市になっている。

 そして、T亜燃料工業の社宅アパートが二つ並んで完成した昭和三三年。その年の流行語は「団地族」だった。この流行語はその年の『週刊朝日』七月二〇日号に載った記事が生んだものだった。その特集記事のタイトルは「新しき庶民ダンチ族」というものである。

 日本住宅公団が設立されたのが昭和三〇年。以後、公団や地方自治体、企業が立てた集合住宅が続々出現している。昭和三三年までに全国に約五〇〇〇の団地・世帯数三十五万戸ができ、「団地族」が一〇〇万人を突破した。

 その中の一つがT燃料工業自慢の社宅であり、後のK家もまた新庶民「団地族」の一つになるのだった。

 「ぼく」の頭の中に、まるでテレビのドキュメンタリー番組のような映像が浮かぶ。戦後の復興から、数多くの団地が建設されている画像のカットがつなぎ合わされていく。

ニッポンの高度経済成長を支えたすべての父親とその家族、いわばこの社宅は「庶民」の象徴なのではないか。何も恥ずべき住まいではない。「オレは芦屋の豪邸に住んでいた」などと見栄を張ってウソをつかなければならない必要など、どこにもない。

 Kには同じT大学を二年後に卒業した弟がいた。その社宅には親子四人が幸せに住んでいたに違いない。マイホームを持つ夢を抱きながら。

 昭和四一年度版『国民生活白書』によれば、都内の主婦を対象にした調査で、その九割が「自分は中流の暮らしをしている」と思っているという報告があり、その幸福な「中流意識」が話題を呼んだという……。

そして昭和四五年秋、K家は銀行と会社から数百万円の金を借り、念願のマンションを購入して社宅を出ていった。この年、Kは十一歳。  

 時代は、庶民がマイホーム願望を募らせていた頃のことである……。

 

ある憤りを感じていた。

Kは父親にすまないとは思わないのだろうか。彼の父は庶民として、精一杯働いてきたのだろう。ところが、Kは自分が「芦屋のボンボンだ」などと偽り続け、自らを資産家の子息として演出してきた。

 これは彼の父親に対する冒涜であるといってもよい。そしてそれは、精一杯働いているすべての庶民に対する冒涜でさえあるだろう。憤りは高まるばかりだ。

 やはりKは抹殺されなければならない。殺さなければならない。

 この「ぼく」が必ずやる!

 

 (第八話終・第九話へつづく)   

 

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