宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 九 回  

 

 

chase18 : 顔 の な い 子 ど も

 

 

 

 

 駅を降りて、Kの実家マンションの近くまで行く。

 イヤな感覚はいぜん「ぼく」を包んでいた。時々、後ろを振り返る。わかっていながらも、どうも誰かの視線を感じるような気がするのだ。

 しかし不思議なものでKの実家、あのマンションが視界に入ってくると、急に「ぼく」の被害妄想は消えた。そう、「ぼく」にはやるべきことがあるからだ。

 「ぼく」は近所に聞き込みをかけてみる。結果、わかったのは次のようなことだ。

 やはり、Kの父親は数年前にT燃料工業を退社しているようだった。母親は専業主婦。またKの二歳違いの弟は、Kと同じT大学を卒業後、就職して今はどうも埼玉に住んでいるらしい……。

東Y谷のマンションから南Y谷のT燃料工業の社宅まで歩く。小学生の足でも一〇分ほどだろうか。

 ふいに、自分がT小学生の足でUと考えたことに、自分自身、微かな驚きを感じていた。その時「ぼく」は小学生時代のKを思うともなく想像していたからだ。

 小さな川沿いにその社宅は建っている。ちょうど、その小川が住所表示の東Y谷と南Y谷を隔てているようだ。その小川沿いを歩いていく。

 鉄柵の門が小川沿いの道路側に二つ、逆の路地側にも門があるのが見えた。門には「T燃アパート」というプレートが、くくりつけてある。小川沿いの道路に面した門から中に入る。まさに古い団地然とした二棟の建物が建っていた。社史資料によれば、すでに築四十年近くを経ている。

 「ぼく」はまじまじと、その建物を観察した。四階建てのアパートの二棟全部で五十二世帯の住民が、今も住んでいるようだ。建てられた時代を反映してか、古い公団に造りも雰囲気も非常によく似ている。

 第一棟と第二棟の間は駐車スペースになっていて、T燃料工業社員の自家用車が並んでいた。「ぼく」は自動車の間をすり抜けて、その〈中庭〉になったスペースを歩いていく。

 この社宅にKが住んでいたんだな……。昔はどの家庭にも車があったわけじゃない。これほど何台もの自家用車は停まっていなかっただろう……。ここで、少年時代のKは父親とキャッチボールでもしたのだろうか……。不思議な感傷がこみ上げてくる。思いをはぐらせながら歩く「ぼく」はふと、足を停めた。

 第一棟と第二棟の間にある〈中庭〉の真ん中に砂場があった。子供の遊び場になっているらしい。砂山には小さくてカラフルなシャベルが二つ刺さっていた。その脇には安っぽいプラスチック樹脂製のベンチが置いてある。

 ふいに「ぼく」は不可思議な、懐かしいニオイをかいだような気がした。

 それは、少年時代のKが砂場で遊んでいるようなヴィジョンだった。といっても、小学生時代のKの顔を想像することは「ぼく」にはできない。たとえ想像しようと努力したとしても顔が浮かび上がることはない。

 いわば、かたわらのベンチには母親が座り、「顔のない子供」が小さなシャベルで砂遊びをしているようなヴィジョンを「ぼく」は脳の中に描いたのだ。

 「ぼく」は考える……。その庶民的な「顔のない子供」はどこの誰であってもかまわない。いや、「顔のない子供」は他でもない「ぼく」自身の遠い過去だった。さっきから感じていた感傷の正体を「ぼく」は知った。

 「ぼく」がいとおしく思えたのは想像のなかのK少年なんかじゃなく、自分自身の子供の頃の思い出だったのだろう。懐かしさを感じる理由がそれだった。Kの過去を探ることは、まるで「自分探しの旅」に出るようなものだったのだろうか……。

 つい、何だか下らないテレビのドキュメンタリー番組のナレーションのようなことを考えて、自分で笑ってしまった。フン。そうさ、今「ぼく」はKを殺すためのプロセスを一歩ずつ踏んでいるに過ぎない……。

 「ぼく」は社宅のまわりをぐるりと観察する。この辺りはごく一般的な住宅地だ。住宅地図によれば、近くには各企業の社宅が多く存在している。どの社宅も築年数の差こそあれ似たようなものなのだろう。

 Kが少年時代を過ごした社宅は、一般的な住宅地にある、ごくありふれたアパートだった。Kもまた、ごくありふれた子どもだったのだろうか……。

 「ぼく」は社宅を後にして、駅までの坂道を歩きだしていた。ありふれた住宅街。そのありふれた路地を曲がって、ふと前を見る。

 

 目の前に「あの男」が立っていた。

 Kに思いをはぐらせていたせいか、その男たちが目の前に現れるまで「ぼく」は気づかなかった。うかつだった。

 一人は電車でも見かけた、あのヤクザ風の男だ。しかも、絶望的なことに相手は二人だった。逃げ場はない。もう一人も負けず劣らずタダ者ではない面構えで「ぼく」をにらんでいる。

ありふれた状況でないことは確かだった。

 

 

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