宅 八郎 presents

 

サ イ コ ホ ラ ー 小 説

『 K の 器 』 

 

 

 

第 九 回  

 

 

chase19 : K の 襲 撃

 

 

 

 

 どうやら尾行されていたらしい。

 二人の凶悪な男たちは険悪な顔でこちらに近寄ってくる。気のせいじゃない。この 「ぼく」に用事があるのは明らかだった。

 今度こそ、これは夢じゃない。イヤな予感は的中した。あれは被害妄想でも何でもなかったのだ。「ぼく」は身体をこおばらせた。たとえようのない違和感が襲ってくる。どうせムダだろうが、一応そのまま通りすぎようとしてみる。

「ちょっと待てよ、お前」

男が叫んだ。「ぼく」はさらに凍りついて、歩く足を止めた。

「おいッ、お前だよ。お前、この辺何の用で歩いてんだ」

 二人が立て続けにまくし立てる。何とか逃げられないだろうか……。考えは浮かばない。すると一人はすかさず「ぼく」の背後に回り込んだ。ダメだ。こいつらプロだ。もう逃げられない。

「何か面白いこと調べてるようじゃないか」

「………………」

 とてもこの状況は突破できそうになかった。無言で立ちつくす。

「とぼけてんじゃねえッ!」「お前、聞いてんのかよッ!」

 二人は前後から矢継ぎ早に叫んだ。 考える間もない。正面と背後から交互に脅されて「ぼく」は、とまどうしかなかった。

「てめッ!」

てめえ、とは聞こえなかった。なぜだろう。テメッと聞こえた瞬間、「ぼく」のみぞおちに、前の男の拳が背中に届くくらいに、めり込んでいた。

「グェッ」

 異様な音がして、「ぼく」は咳込むような声をあげた。身体をエビのように折って腹に手を当てる。何かが腹の底からこみ上げてくる。

胃液の酸っぱい味がした。

すると、後ろにいた男は「ぼく」の髪を思いっきり引っ張った。「ぼく」の両手は宙を舞ってのけぞった。その瞬間、背中に激痛を感じて、息が止まる。蹴られるかどうかしたようだった。

「ウグッ」

正面から頭に向かって凶器――鉄パイプのようなもの――が振り下ろされた。目の前に火花が飛ぶ。男たちの一撃、二撃をくらって、鈍い激痛と不気味な脱力感が襲いかかり、「ぼく」はうめいた。両目に脂汗が流れ込む。自己保存本能が騒ぎだす。

 この不快な虚脱感は何だ。この搾り取られるような苦痛は何だ。

「お前ッ、何でこんな目にあってるか、わかってるよなッ!」

 うずくまる「ぼく」の背中を何度も何度も、後ろの男の蹴りが入った。

「ウエッウエッウエッ」

咳込む。身体に悪寒が走った。意識が混濁している。自衛本能がけたたましい警報を鳴らす。肉体が身構えている。

 さらに無理やり立ち上がらされ、壁に押しつけられる。前にいた男が「ぼく」の腹に向かって、右手左手と二発の拳を放つ。もう一人の男が胸ぐらをつかむと、顔面に拳を見舞った。フッ飛んで倒れ込む。目の前が良く見えない。

「お前がやってることを今すぐやめろ。わかったか、やめるんだ」

一人が内ポケットからナイフを取り出して言い放った。「ぼく」は朦朧とした視界の中でナイフを見る。

「手を引け。わかってるか、おいッ!」

 そこに突然、野球のボールが飛んできた。二人のヤクザは一瞬だがギョッとする。いったい何だろう。何が起きたんだろう。

「ぼく」はぼんやりとボールをながめていた。すると塀の向こう側から、小学生がボールを取りに駆けてきた。

「アッ!」

 子供が声を上げた。しかし、そのまま二人組の男に気づいて立ちすくむ。息を飲んでいるようだった。間の悪さを子供なりに理解しているようだ。

 曲がり角の向こう側で人の気配がした。男たちは顔を見合わせて互いにマズイ表情をつくった。ナイフを内ポケットにしまう。そして声もたてずに不気味に笑った。

「今日は殺さないでおく。しかし、それには条件がある。Kのことだ」

 電車に乗ってきた最初の男が言った。もう一人も激しく叫ぶ。

「死にたくなかったら、もう変なこと調べるんじゃねえよ」

「わかったか、Kに手を出すな!」

 捨てゼリフを残すと、男たちはゆっくり歩いていった。子供はまだ動くことができないで、立ちすくんでいた。その眼は「ぼく」にクギづけになっている。

「お〜い、どうしたんだよ〜」

 角を曲がって、二人の小学生がやって来た。キャッチボールでもしていたのだろう。ボールを取ってこない友だちの様子を見にきたようだった。ゆっくり、最初の子供が無言で「ぼく」を指さした。

「アッ!」

 後からやって来た二人の子供も「ぼく」を見て一瞬立ちすくむ。大したザマだ。血反吐を吐いて、のされている、みっともない大人が少年たちの前にいた。

「大丈夫、ですか……?」

 一人の子が気の毒そうに言った。三人の小学生たちが哀れむような眼で「ぼく」を見ていた。子供にまで「ぼく」はそんなふうに見られているのだった。

 そうだ。「ぼく」は世界一弱い人間さ。そして世界一強い人間なんだ。

「大、丈夫だから……みんな、もう行っていいよ……」

それだけを言うのが精一杯だった。「ぼく」は子供たちに力なく笑うと、一度立ち上がろうとして、しかし、またくずれおちた。

 この屈辱は一生忘れない。「ぼく」が流した血の代償はKの血で償わさせてやる。夜もろくに眠れない恐怖をKになめさせてやる。何があっても必ずKを殺す。

ずいぶん長い時間が経過しているように思えた。気がつくと、子供たちは消えていた。最初から誰もいなかったような気分になる。あの男たちも、そして子どもたちもすべてが幻だったような気がした。

 これも夢だったのか。

 しかし、身体の異常だけは本物だった。ふらふらと地面から立ち上がろうとするが、脚に力が入らない。朦朧としながら寝返りを打ち、両ひじとひざを使って身を起こした。何とかゆっくり立って、まわりを見る。

焦点がボケている。

 めまいがする。

 頭痛がする。

 吐き気がする。

 気分が悪い。

 生暖かい液体が目に流れ込んできた。ぬぐったせいだろうか、気がつくと両手が血まみれになっている。路上駐車してあった車のミラーで自分の顔を見る。まるで絵の具のような赤い血が顔にベッタリとついている。それを見て、「ぼく」はさらに気が遠くなる。

 こんな顔を人前にさらすわけにはいかないが、なぜか誰も来なかった。その町に「ぼく」は一人だった。道端を一匹のネコだけがゆっくりと歩いている。

全身が重い。形容しがたい脱力感、虚脱感、悪寒で立っているのがやっとだった。耳鳴りがする。焦燥感が激しい。それでも「ぼく」は歩きだす。一歩づつ。

世界がゆがんでしまったようだ。住宅街を彷徨う「ぼく」の眼には、道路という道路、壁という壁、街角という街角が、まるでモザイクで造られた迷路のように思えだす。風景の輪郭、幾何学的な特徴だけが際立ってみえた。

 眼の焦点が合わない。風景は一変している。

 虚ろな遠近感。

 灰色に濁った空。

 直線の道路。

 垂直に囲まれた壁。

 遠近法が狂い、拡大され、模型にした無限大の幾何学模様の迷路にいるような錯覚に襲われる。

 ぐるぐる、する。

 すべてが不確かなもののように感じられた。わかっているのは自分が自分であるという自覚だけ。しかし、それさえもまるで頭の右上数メートルからの視点――観察する自分を観察しているような――奇妙な錯覚なのかもしれなかった。

もう「ぼく」にはどこにも帰るところがなくなってしまっている。じゃあ、どこへ行けばいいんだろう。とにかく「終点」までいくことに決めている。いったい、そこにはどんな「終点」が待っているんだろう。

 それは今の「ぼく」にはわからない。。

 迷宮のパズルの中を「ぼく」は歩いていく。どことも知れない「迷宮脱出」のポイントに向かって。

 行きどまりの道の、その向こうへと「ぼく」は歩きだす。

 

 

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